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エッサイ

2013 / 05 / 03

ここが中心

世界の中心

世界の中心ってどこだろう。

ニューヨーク、パリ、ロンドン・・、最近なら、北京だ、上海だ、と言う人もいるかもしれない。日本の中心は、やっぱり東京だろうな。

僕たちは、それぞれが、いろんな考え方を持ち、意見を持ち、生き方がある。でも、それらはたいていが、大きな求心力のあるところの影響を受ける。
それがいけない、というのではない。でも、それだけでは危険、というよりも、少しつまらない気がする。中心は多い方が良いと思うし、もっといえば、無数にあった方が良いような気もする。そういうのを中心と言うのかどうかだけれど、たくさんあればあるほど、世界は楽しくなる気がする。

そんなことを考えたのは、近江八幡の旧八幡郵便局の二階に飾ってあった、建築家、ヴォーリーズのサインの写真を見たからだ。カタカナで書かれたサインのそばに、◯が添えてあって、中に点が打ってある。不思議なサインだけれど、説明書きを読むと、ヴォーリーズはサインをするときには必ず、この◯に点を添えたらしい。意味するところは、彼の暮らしたまち、近江八幡が世界の中心、という意味だと言う。

アメリカ生まれのヴォーリーズは、明治三十八年、二十五歳のとき、英語教師として、近江八幡の町にやってきた。今から百年以上前に、太平洋を渡った人だ。また、知られているように、日本全国に千を超える建築を残した人でもある。そのヴォーリーズにとっての世界の中心が、彼の暮らした小さなまちだったのだ。

東海道線を北に向かい、近江八幡の手前、篠原の駅あたりまで来ると、急に視界が開ける。みずうみ側に広がる稲田を吹く風が、電車の閉めきった窓からさえ、流れこんでくるような気がする。ヴォーリーズさんも、きっとこんな風景を見て、ここが自分にとっての世界の中心なのだ、と思ったのだろう。

私の職場である大学の研究室の窓からは、左手に比叡山、右手にはまだ少し雪をかぶった比良の山なみが続く。そしてその裾には、琵琶湖の青い湖面が輝く。ここが、私にとっての世界の中心だ。