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エッサイ

2014 / 07 / 01

願い

願い

先週、出席したあるパーティで、偶然に、それまでずっと会いたかった人に会うことが出来た。私の知っている人が、
「佐藤先生は、Oさんをご存じだったでしょうか」と言って紹介してくれたのだ。その席は、大勢の人でごった返していたし、立ち話でもあったので、
名刺交換くらいで終わってしまったが、また機会をみて、私の方から彼の工房をゆっくりと訪ねることにして終わった。

これはあくまでも私の経験の範囲だが、ある人に会いたいと思い続けていると、それは必ず実現する。人生で、すべての思いや夢がかなうなどと言い切る自信はないけれど、
こと誰かに会いたいとか、一度そこに行ってみたい、といったふうなことは、必ず実現するものだ。

今回の、私とOさんの出会いのように、そこには偶然と思わせるものもあるが、実はその偶然のかげに隠れた、必然的な理由があるように思っている。
その理由のひとつは、人は、あることを願い続けていると、それに関する情報を自然と集めるようになるからだ。たとえば自分が新しく住むところを捜していると、
それまで目もくれなかった住宅情報が目にはいってくるようになるし、ふだんからよく歩いていた通りでも、「えっ、こんなところに不動産屋があったのだ」といった具合に、不思議と気づくものだ。

また、だれかれとなく、自分の希望や夢をまわりの人に伝えていると、その人たちもまた、いろんな機会に情報を持ってきてくれるようにもなる。
今回の私とOさんの出会いもそうかもしれない。もしも、私の知人がOさんを紹介してくれなかったら、同じパーティ会場にいながら、私はOさんと出会うことはなかったはずだ。
私の知人は、私がOさんとの出会いを求めている、というところまでは知るよしもなかったはずだが、私がデザインや伝統工芸の世界に関心を持っているということくらいは良く知っていたはずで、
そのことが、出会いを導いてくれたとも言える。

その意味からいえば、夢とか願いといったことは、一見、漠然とした気持のように見えるのだけれど、
実は、その人が生きている方向をちゃんとあらわしたもので、人から見てもそう見えるし、また、自分でも気づかないうちに、それに沿った道筋を歩いているものなのかもしれない。