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エッサイ

2013 / 09 / 16

菜食主義

菜食主義

暑かった夏も、ようやく終わりそうな気配だ。ただ、そのかわりに猛烈な雨が降ったりで、不順な天候が続いている。
これが地球温暖化のせいかどうかわからないが、秋らしい秋、春らしい春が自慢だった、かつてのおだやかな日本の気候がなつかしくさえ感じる。

評論家の加藤周一さんが亡くなったのは二00八年だったと記憶するが、
その二、三年くらい前のことだっただろうか、「この歳くらいになると、朝目が覚めて、それが晴れの日でも、
また雨の日でも、天気とは関係なく、一日一日がとてもいとおしく感じられるものですよ」と書かれていたことを思い出す。
私はまだそんな年齢ではないが、雨でも晴れでも、あるいは暑くても寒くても、それなりに意味のある一日として過ごすことが大切なのかもしれない。

まだ私が広告会社にいた頃のことだが、当時、奇抜な建築スタイルで評判をよんでいた建築家のM・Tさんを、
会社に招いてお話をうかがったことがあった。氏の建築は、当時、流行っていたポストモダン様式の中でも、
さらにその先端をいくもので、例えば、あるとき都心に建てられたファッションビルなどは、誰も入居者が見つからないまま取り壊されたほどだった。

お話に来ていただいたのはちょうど昼時のことで、会の世話役だった私は、少しはりこんで、
近所で評判の焼肉弁当をとることにした。聞き手ともども弁当をぱくつきながら、
お話をうかがうという気軽な勉強会だったのだが、見ていると、氏の箸がいっこうに進まないのだ。
私は次第に心配になって、「お肉はお嫌いですか」と、声をかけてみた。それに対するM・Tさんの返答を、
今でもはっきりと憶えている―「私はたいへん寡作な人間で、数年に一つの建物を設計するのがせいぜいです。
それを考えると、自分が死ぬまで、あと十くらい建物が建つかどうかです。
そこで、一日でも長く生きなければと思い、最近、菜食主義でいくことを決心しました」と。

数年前、そのM・Tさんに、京都の近代美術館の手洗い場でばったり出会った。
私が手を洗っていると、その鏡の背後に氏が現れたのだ。立ち話で終わったのだが、
今は京都の芸大で建築を教えられているとのことだった。その後、菜食主義を貫かれているかどうかお聞きしなかったが、
南方系のそのお顔と、全体から受けるかくしゃくとした感じは、当時と同じままだった。