去年の夏、まだ本格的な暑さが訪れる前、能登川の滋賀県立農業大学校へ出張講義に出かけた。
講義が終わって、お昼をごちそうになることになった。給食施設はなく、周囲は一面、畑と田んぼばかりだから、昼ごはんは仕出し弁当だった。ここでどうぞ、と案内された部屋は、大学紹介のパンフレットが積まれたり、ダンボールが所狭しに置かれたりで、倉庫兼、打ち合わせ室のような場所だった。窓を開け放って、一人で弁当を食べていると、夏草の香りが窓から流れ込んできて、気持ちが良かった。どこからか、麦わらトンボでも一匹、ツイーッと部屋の中にまぎれ飛んで来てもおかしくない感じだった。
講演が終わった後、「ごゆっくりどうぞ」と言いつつ、本当に一人でごゆっくりさせてもらうことなど滅多にない。偶然こんなことになってしまったのかもしれないが、変な気の回し方をしないところが、とてもなごんだ気にさせてくれた。
こういう言い方は少しひっかかるところがあるかもしれないが、農業はもちろんのこと、モノづくりの現場に近づけば近づくほど、人間的に素朴な人が増えるのはなぜだろうか。その逆に、それを売りさばいたり、また、そこで手に入れたお金を元手に、それをさらに何倍にも増やす手立てを考える仕事の人たちに、むしろ素朴とは逆の性格の人たちが多いのはなぜだろうか。
そんなこと考えながら、のり弁当をぱくついていると、つい今しがたまで自分自身が、ビニールハウスを教室にしているような若者たちを前に、戦略や戦術などといった空虚なマーケティング用語を振りかざしてしゃべっていたことが気恥ずかしくなった。
おみやげは、トマトと巨大なピーマンがぎっしり詰まった大きな手提げ袋だった。
「大きなピーマンですね」
「パブリカですが」
パブリカのひとつも知らないで、マーケティング戦略なんてよく言えたものだ・・、なんて意地悪な目付きはしない、とても素朴な副校長先生が、駅まで送ってくれた。