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エッサイ

2013 / 05 / 03

Epuron

Epuron

広告は商品を宣伝するものでしょう。企業を宣伝するものでしょう。それは正しい。しかし、肝心かなめの部分は、伝える相手は人だという点だ。伝える商品はクルマであっても、ビールであっても、それを受け止めるのは人間だ。だから、優れた広告は、どこか必ずヒューマンな香りがする。しかも、そのヒューマニズムは、けっして押しつけがましいものではなく、極上の隠し味となっている。

2007年のカンヌ国際広告祭で金賞を受賞した、ドイツの風力発電会社、EpuronのCMは、そのお手本のような作品だ。

主人公は、一見、知恵遅れに見える大男である。その男が、さまざまなイタヅラをしながら、まちをほっつき歩く。女性のスカートをはぐり、砂場で遊ぶ子どもたちに砂をかける。テントをひっくり返す、散歩する老人の傘を折り返す、ゴミ箱をけっとばす。どう見ても、孤独な荒くれ男である。

そんな男がある日、公園のベンチで新聞を読んでいる一人の男性に出会う。荒くれ男は、いつものように、男性が読んでいる新聞を外側からさわって邪魔をする。しかし、男性はいやがらない。むしろその荒くれ男に一枚の名刺を差し出す―「私の会社?Epuronで働かないか」。主人公の荒くれ男は、The Wind?風だったのだ。

この広告を何度見ても飽きないのは、CMの底を流れているものが、僕たちの日常だからだ。ここで力をこめて語られていることは、地球環境のことや、風力発電の重要性ではない。「人間を含めて、あらゆるものは存在価値がある」という、ごくシンプルな事実だ。

それがごく当たり前のことでもあるのにもかかわらず、むしろ、私たちの日常は、それを否定することで成り立っている。これは役立つ、あれはダメだ。あんなモノに価値はない。そんな僕たちの手垢の付いた日常に、このCMは、とんでもなく大きな太い真実のクイのようなものを打ち込む。

EpuronのCMは、優れた広告であるというだけでなく、むしろ、見る側の人に、広告でこんなことまで言えるんだ、といった感じすら残す。広告の持つかぎりない力の発掘作業は、まだ発展途上だと思う。