大学の教員の間で、最近、話題になっていることがある。学生たちのドタキャンが以前にもまして、ひどくなったことだ。少なからずの学生が、ゼミのコンパや合宿の予約を、直前になってキャンセルする。理由はアルバイトのシフトが急にはいってきたり、風邪をひいたりとさまざまだが、要はドタキャンなのだ。
ドタキャンされた方は当然、つらいことになる。コンパの幹事などは、店へのキャンセル手配で大変な迷惑をこうむるからだ。
ドタキャンには、やむにやまにやまれぬ事情が、急に発生したことがほとんどだと思うが、私は、ドタキャンにはもうひとつ別の筋があると見ている。行くべきか、行かざるべきか、さんざん迷ったあげくのキャンセルだ。
人には、大勢の人たちといっしょにはしゃぐことを好むタイプと、その逆に、自分と気の合う友人とだけ付き合うことをよしとする人物、一人で音楽を聴いたり、本を読んだりしている方がずっと楽しいというタイプがある。おそらく、後者の人にとっては、人といっしょになってはしゃぐ席は、辛くてしょうがないのだろう。
ある兄弟がいて、弟の方は優れて賢い。くらべて兄は、何もかもグズグズで、勉強もできない。あるとき、いつもの調子に魯鈍な兄を、弟はなじった。そのとき、母親は、こう言って思いのたけ弟を叱ったという
―「やろうとしてもできない人間のことが理解できずに、それを見下すのは、人間としては、もっと下だ」と。
―だったら、最初から行けないと言えばいいのに、そんなに迷う人必要なんてないのに。
確かにそうだ。けれど、直前のキャンセルは、ギリギリまで気持ちが行きつ戻りつしたと、
考えることもできる。
―どうしてそんなことが言えるのですか、ドタキャンされた方の身にもなってください。
申し訳ない。ドタキャンこそしないが、私もどちらかといえば、そういう誘惑にときどきかられる
タイプの人間だからである。