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エッサイ

2013 / 05 / 03

まっすぐ行かない方がいい

まっすぐ行かない方がいい

デジタル大画面テレビに変えて、ちょっと困ったな、と思うことがある。けっしてデジタルだから、そうなったというのではないけれど、これまでより録画がかんたんに、そして大量にできるようになったので、好きな番組を予約録画しておいて、それだけを見るようになったのだ。

それでいいじゃない、と思われるかもしれないが、良くないのだ。気づいている人は少ないかしれないが、ネットの検索サイトの弊害は、私たちが必要と思われる情報、好きな情報のところへ、何しろまっすぐに到達できるようになったことだ。最高じゃないか―と、再び声が上がりそうだが、こんなことを考えてみよう。

昨日、あなたが楽しかった、おもしろかった、という何かがあったとしたらあげてみてください。また、あれは勉強になったなあ、というようなことがもしあったら、あげてみよう。

例えば、アイツの冗談が面白くてね、だったとしたら、アイツの冗談は、あなたがあらかじめ予約しておいたものだろうか。部長の言うことも、たまにはタメになるな・・、なんていうことは、ほんとうにタマにしかないかもしれないが、おそらくその部長の一言は、予期したものではなかったはずだ。

振り返ってみれば、僕たちの経験は、そのほとんどが、実は出会い頭なのだ。そんなものに出会おうと思って出会ったものじゃない。何でも計算づくで、自分の思いどおりのものだけ手に入れようとするのは、ちょうど、コンビニに行って、最近はビタミンBが足らないから、この栄養剤買って飲んでおこう、といった行動に似ている。それで、ビタミンBは補給できたかもしれないが、食べることによって得られるはずの「おいしい」はどこかに行ってしまうのだ。

ひたすら目的地に駆け進むことで、回り道をすれば得られたはずの、大切な何かを取り落してしまうことについて、小説家の川端康成がこんな話を書き残している―「もとの東海道線の、もとの速度の車窓には、私の目をひき思いを誘う景物が、幾つかありました。そのうち、最もあざやかな印象で、私を感動させるものは、東京からの列車が滋賀県にさしかかった、その近江路の風光です」(川端康成「一草一花」)。

川端の言うもとの東海道線とは、新幹線の西側の、より湖岸に近いところを今でもゆっくりと走る琵琶湖線のことである。