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エッサイ

2013 / 05 / 03

5月17日

5月17日

私は、縁起をかついだり、手相を見てもらうようなことをあまりしない方だ。信心が足りないというより、何かを願う場合、自分でやるべき他の手立てがあるように感じるところが強いのかもしれない。

昨年のゴールデンウィーク前に、広告会社の営業時代に長く仕えていた上司が、ガンで亡くなった。亡くなる半年ほど前、吉祥寺のレストランでお昼をいっしょにしたのが最後になった。死の知らせは、当時の私の部下からのメールで知ったのだが、すでに通夜や葬儀も済んでいた。自分のスケジュールがとれる、できるだけ早い日に、東京のご自宅にお線香をあげに行こうと思った。

その日、品川で新幹線を降りて確認の電話を入れたが、夫人はお留守のようだった。そして、立川から出ているモノレールに乗り換える前に、もう一度、電話を入れてみたが、やはり応答はなかった。私が行くことを夫人はお忘れになって、外出でもされてしまったのかもしれない。夫人と電話で訪問の約束をしたときのことを思い出してみた。

たしか、電話口の夫人は、私が行くと言った日にちを、復唱してもう一度確認されるようなことはなかった。そのことがちょっと悔やまれた。失礼でも、私の方から、もう少し訪問の日づけを繰り返して伝えるべきだったと思った。

不安げに改札へ降りて行くと、夫人は、きちんと出迎えに来ていらっしゃった。挨拶の後、夫人の口からついて出たのは、「今日、5月17日は、Tの誕生日ですの。電話で17日に来られると聞いたとき、びっくりしました」という言葉だった。

一年が三百六十五日あることは、誰でも知っている。だから、無作為に選んで、その中の特別な一日を引き当てることはかんたんではない。夫を亡くしたばかりの夫人にとって、5月17日は、もう一度口に出して確かめる必要のない日だったのだ。

言葉もなく手を合わせる私のかたわらから、「お会いになりたかった人が来てくれましたよ」と、夫人が祭壇の写真に声をかけてくれた。

過信ということではないけれど、ときどき、自分の生が、自分以外の大きな力によって動かされていることを忘れることがある。もうすぐやって来るTさんの誕生日、5月17日は、そのことを思いださせてくれる、私にとって特別な日だ。