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エッサイ

2013 / 05 / 03

ガウディ通り

ガウディ通り

僕も、あと十年もたたないうちに、定年で大学を去ることになる。こんな風に書くと、いかにも、
いつまでも現役でいたい、歳をとるのはいやだなあという感じに聞こえるだろうが、実際、あまり良い気分ではない。
ところが、こんな気持ちは、むしろ日本人に独特のことだと思わせる数字がある。

少し前の調査だが、英国の金融機関、HSBCがまとめた「退職の未来」調査によると、
欧米では、退職を肯定的に受け止める人の方が多数なのだそうだ。例えば、米英など5か国では、
「肯定的なイメージ」が8割以上を占め、その一方、日本は47%にとどまる。
この数字は、ロシア、エジプトに次ぐ低さなのだと言う。

こうした数字を見るかぎり、近年、少子高齢化の問題がさまざまに議論されるわが国だが、
経済成長が落ちてしまううんぬん以前に、高齢化した社会そのものを忌み嫌っていることこそが、
問題の核心のような気もしてくる。

老人の暮らしぶりといえば、こんな光景を思い出す。バルセロナに暮らしたころのことだ。
私の住むアパートは、ガウディの建築で知られるサグラダ・ファミリア大聖堂の近くにあった。
歩いて十五分くらいの距離だったが、そこへ向かう道すがら、ガウディ通りと名づけられた道の両脇には、
何軒ものBAR(パンなどの簡単なスナック類とアルコールも置いてあるカフェ)が並んでいて、
そのバルの主役は、一にも二にも老人たちだった。

着ているものは、そんなに高そうには見えないのだが、女性はいかにも着飾り、
男たちの髪にもきちんと櫛が入っていた。夫婦連れもあれば、男同士、女同士の組み合わせもあった。
また、店先からさらに歩道にはみ出したテーブル席やベンチを、昼夜を問わず占領していたのが、彼ら老人たちだった。

おしゃべりに夢中なガウディ通りの老人たちが、何を話しているのかは私にはわからなかった。
ただ、話の内容がどんなにつまらないことにせよ、また悲しいことにせよ、
夢中でしゃべっている老人たちの表情には、その日を生きているという実感があふれていた。

毎日の家路につくとき、私は、地下鉄の出口から、やや遠回りに、このガウディ通りを行った。
ちょうど西に落ちかかった夕陽が、通り全体を照らした。その光はまるで、ひとときのたそがれを楽しむ彼らを祝福する、
神の光のようにも見えた。