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インタビュー

2013 / 05 / 14

蟻田 剛毅


(株)アッシュ・セー・クレアシオン
代表取締役社長

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社長とは、最後まで正論を吐く人、だと思っています。

アッシュ・セー・クレアシオンという会社名を聞いただけでは、ちょっとわからない人でも、
アンリ・シャルパンティエというブランド名を聞けば、きっとおいしいケーキを思い浮かべるはず。
そして、ケーキのおいしさもさることながら、アンリ・シャルパンティエやシーキューブといえば、
パッケージや店舗などのデザイン性の高さで、注目されてきた存在でもある。
蟻田剛毅さんは、2011年にアッシュ・セー・クレアシオンの社長に就任。クレアシオンとは、
フランス語で創造・創作を表す言葉で、英語でいえばクリエイション。まさに毎日が創造の日々である。

―東北の震災地域へのチャリティー「Smile for TOHOKU-from ASHIYA-
?スマイルフォー東北-フロム芦屋」キャンペーンについて、教えていただけますか

蟻田―私どもの代表商品でフィナンシェという焼き菓子があるのですが、
その詰め合わせセットの中から、あえて一個減らした商品をつくり(価格は通常価格)、
その一個分にあたる金額を、被災地の方々への募金にあてようというプロジェクトです。

―反響はいかがですか

蟻田―おかげさまでプロジェクトとしては、たいへんな好評をいただいています。
一箱3150円の商品(本体価格)なのですが、すでに68000箱の販売になりました。
私どもの商品は、通常、デパート販売が主体なのですが、この商品は、1人でも多くの方に賛同頂くため、
セブンイレブンの秋冬カタログにも掲載いただき販売しました。この売れ行きが非常に好調でした。

プロジェクトは、2012年の4月にスタートしたのですが、次年度に向け、
新たなボックスパッケージのデザインを一般公募しまして、4月から二年目のキャンペーンを開始する予定です。

―震災地域へのチャリティーをお考えになった理由はとくにおありだったのでしょうか

蟻田―1995年の阪神淡路大震災で、芦屋市にある私たちの本社・本店や西宮の工場もたいへんな被害を受けました。
そのときは、逆に多くの方々に助けてもらったわけです。また、復興援助へのお礼に際しては、
私たちの商品もたくさん使っていただき、あの震災にはたいへんな感謝の思い出があるのです。
今回のプロジェクトは、最初、企画部門の女性の発案だったのですが、ぜひ会社をあげてやろうということで、実施しているものです。

―亡くなられたお父様の尚邦(なおくに)さんとは、かつて、私もシンポジウムで同席させていただいたことがあるのですが、
デザインにかける熱意は並々ならぬものがありましたね

蟻田―確かに。例えば、私と父とでは、仕事への入り方が全然違います。
私はどちらかといえば、コンセプトありきと言ってよいでしょう。
一方、父はデザイン感覚そのものから入ってゆきました。父の父、つまり、私の祖父は、
乃村工藝社というインテリア・ディスプレイの会社の社長でしたし、また、父の弟、私の叔父は画家です。
おそらく、父にはそういう血も流れていたのだと思います。それと、神戸の洋菓子といえば、まさに激戦区ですから、
そこで競争していくためには、とにかく目立つ、ということも必要だったのではと思います。

―お父様のお仕事で、とくに印象に残っているようなことはありますか

蟻田―ラジオコマーシャルだったのですが、フランスのイメージを出したいということで、
日本語はいっさいなし、全部フランス語というコマーシャルを作ったことがありました。
おそらく、前代未聞のことだと思います。むしろラジオ局の方が、これでは聴いている人が、意味がわからず、
公共放送としてまずいということで、オンエアーを断ってきたらしいのですが、とうとう父の一念で押し通したことがありました。

―すごい話ですね。テレビなら映像がありますから、多少、意味は通じるかもしれませんが・・・。
とにかく、デザインやクリエイティブに関するかぎり、お父様の判断がオールマイティだったのですね

蟻田―そういうこともあって、私が社長になってからは、デザイン部門のスタッフも、
少し戸惑ったかもしれませんね。例えば、父が社長の時代は、判断はすべて父でしたから、
父の意志のもとにスタッフが動いていました。私になってからは、当然、スタッフにも意見を求めるし、自ら考え、判断もしてもらいます。

―ぜひ、お聞きしたいのですが、ズバリ、社長の仕事とは何でしょうか

蟻田―ひとことで言えば、社長とは、どんな状況にあっても、正論を吐き続ける人である、
ということではないでしょうか。そして、その正論の基点はといえば、わが社の経営理念―「永遠なるお菓子文化を築き、
うるおいある世界を創造する」というコーポレイトスローガンに基づくことになります。

―「永遠なるお菓子文化」というところが、すばらしいですね

蟻田―文化というものは、けっして一時的なものではない、
そして、社会の成員として認められるということだと思います。しかも、お菓子は、ご存じのとおり、
冠婚葬祭を含めて、生活のシチュエーションのすみずみにまで渡っている商品です。
これからも、お菓子のあらゆる可能性を追求してゆきたいと思っています。

左|エッフェル塔をかたどったクッキーピック / 右|白く美しいデザインの本社工場・オフィスの建物左|エッフェル塔をかたどったクッキーピック / 右|白く美しいデザインの本社工場・オフィスの建物

インタビュアーの+α

アンリ・シャルパンティエのクッキーに初めて出会ったのは、十数年前、東京から関西に移ってきて間もないころだった。
東京在のある人から、お礼にと贈っていただいたものだった。クッキーそのものも、とびっきりおいしかったのだが、箱を開けて、
まず、目に飛び込んできたのが、エッフェル塔のかたちをしたクッキーピックだった。びっくりした。
こんな小さなものに、ここまで気を使う経営者がいるんだ、さすが東京・・、と思って、中の栞を見たら、関西のお菓子会社だった。

今回のゲストである剛毅さんのお父様、尚邦さんの名前を知ったのは、それからしばらくしてからだった。
機会をみて、私の主宰したデザインシンポジウムにゲストとしてお招きすることにした。
そして、二度目をと、お声がけしたときは、すでに病の床にあられ、かなわなかった。今でも、このクッキーピックは、尚邦さんそのものだと思っている。