多賀大社(たがたいしゃ)
多賀大社(たがたいしゃ)
今年の夏ももうそろそろ終わりかな、といった感じのある日、思いたってたずねたのが、北近江の多賀大社。
JR彦根駅から、近江鉄道(多賀線)に乗り換えて15分くらい、終点の多賀大社前駅で下車。駅のまわりは、やっぱり田んぼや畑が多い。ちょうど収穫前の稲の穂が黄金色に輝いていました。
駅前からは、絵馬通りというけっこう長い参道が続き、途中には、名物の「糸きり餅」を売るお店や、いかにも古そうな看板のお店がいくつか並んでいる。
多賀大社が、その名を全国にとどろかせているのは、ここに祀られている神様が、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ:男神さま)と伊邪那美大神(いざなみのおおかみ:女神さま)
というたいへんご立派な神様だから。そう、伊勢神宮に祀られている天照大神(あまてらすおおみかみ)のお父様とお母様にあたる神様なのだ。
そういえば、駅舎の観光案内所に、「お多賀さん」とも呼ばれる多賀大社の由来について、迫力のある手書きのポスターが張ってありました。ちなみに、ご利益(りやく)は、延命長寿、厄除け、縁結び、家内安全、交通安全と、たくさん。
それもそのはず、伊邪那岐大神と伊邪那美大神が、お生みになられたのは、天照大神だけではありません。八百万(やおよろず)の神々をはじめ、
私たち人間、そして一木一草にいたるまで、お生みになられたのだから、そのお二人が祀ってある多賀大社は、やっぱりスゴイところ。
境内の入口の大鳥居の前に立って、すぐ目に飛び込んで来たのは、とんでもなく傾斜のついた、石の太鼓橋。いったいどうして渡るのだろう。
よくみると、橋板の端っこあたりに、それをつかんでよじ登るのか、鎖が取り付けられている。―「コレ、私はパス」と、脇を通り過ぎようとしていたら、
後ろからやって来たおじいさんとおばあさんの二人連れが、何のためらいもなく急斜面にチャレンジを始めた。心配しながら見つめていると、
橋を渡っているというよりは、なんだか、へばり付いている感じ。登るときよりも、むしろ向こう側に降りるときの方が大変そう…。
この多賀大社の見所のひとつともいえる、この太鼓橋の名前は「太閤橋(たいこうばし)」
名前の由来は、戦国時代、天下統一をなしとげた、あの太閤秀吉からとられたのだそう。病にかかった母親の大政所(おおまんどころ)の病気平癒をねがった秀吉が、
多賀大社に祈願。祈りのかいもあって、大政所の病気はなおり、秀吉はお礼にと米一万石を大社に奉納。その奉納によって造られた太鼓橋だから「太閤橋」。
そして、境内にある美しい奥書院の庭園も、その奉納でいっしょに造られたものだそう。庭は国指定の名勝にも指定されている。有料だけれど、見学も可能。時間があればぜひ見ておきたいポイントです。
やがて御神門をくぐると、やはりドーンと迫力。澄み切った青空、背後にそびえる緑の木立、そして、拝殿から本殿へと続く、鳳凰が羽を広げたような甍(いらか)の重なりが、優美なお姿を見せていました。
拝殿で、二拍手、一礼して、おごそかにお参り。手元のいただいたパンフレットを見ると、桜の時期には、境内のしだれ桜、秋には紅葉と、四季おりおりの風景も楽しめそう。
また、新年の行事から、節分祭(2月)、春の古例大祭(多賀まつり 4月)、御田植祭(6月)、万灯祭(8月)、古例祭(9月)などなど、通年の行事もたくさんで、年間の参詣者は約170万人を数えるとか。
無事、お参りを終わって境内を背にすると、通りをはさんで何軒か並ぶおみやげもの屋さんのうち、大きな杓子(しゃくし)を看板にかかげたお店が目に。
なんでも、奈良時代の元正(げんしょう)天皇の病気に際し、多賀大社の神主が、強飯(こわめし)を炊き、しでの木で作った杓子を献上したところ、天皇の病気は無事に治り、以来、「お多賀杓子」として、名物になったのだそう。
聞けば聞くほど、知れば知るほど、歴史と由緒のある多賀大社。みなさんも、ぜひ一度、機会をみて、「お多賀さん」をたずねてはいかがでしょうか。