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エッサイ

2014 / 03 / 11

文化の目

文化の目

学生たちと、大学の周辺を散策した。ただの散歩ではなくて、大学から駅一帯に広がる町内の人から、
町を紹介するカレンダーづくりを頼まれたからだ。何時間かかけて歩くことになるから寒さを心配していたが、
運よく気温も高く、ときどき雲間から陽の射す、まずまずの天気に恵まれた。

私はいつも、大学と駅の間はバスを利用する。大学まで十数分の距離だが、
歩けば四十分かそれ以上かかる。しかも、駅からは上り坂の道だ。だから、大学の教職員も学生たちも、
大学の周辺を歩きまわることなどほとんどない。例えば、大学の門を出て少し行けば、誰かにちょっと道を聞かれても、まったく不案内に違いない。

町の人たちの先導で後ろを付いて行くと、人家の裏道や、畑のあぜ道なんかを、どんどん横切っていく。
大学のキャンパスからいくらも離れていないのに、すっかり異邦人になった気分だ。そして、バス道から少しそれただけなのに、
見たこともない広大な池が広がっていたりする。夏の初めころには、ピンク色の蓮の花が咲き誇るらしい。

かつての東海道筋には、さすがに家の裏手に漆喰壁の土蔵をかまえたような豪家が何軒も並ぶ。
その白壁と軒の間から顔をのぞかせるサザンカの紅がきれいだ。しばらく歩き続けているうちに、
道そばに、いくつかの石のお地蔵さまがあることに気づいた。それは専門の職人が彫ったような立派なものではなく、
素朴な顔つきと、素朴な形をしていた。同行の案内の人にたずねると、それらは、町内のお守りだけではなく、
昔、旅の途次、街道筋で行き倒れた人たちを祀ったものもいくつかあるのだと言う。

私たちが文化を失うのは、モノのように、それを使い尽くしたときではない。
むしろ、その存在を忘れてしまったときだ。ちょうど引出しの奥に、どこかで買った絵葉書をしまいこんでしまって、
それがあることをすっかり忘れてしまったときのようにだ。

カレンダーの制作作業は、町のアマチュアカメラマンが撮った、四季折々の写真をセレクトし終えたところだ。
出来上がったら、何部かわけてもらって、他の学生たちにも見せようと思っている。バスやバイクのスピードはおろか、
デジタルという光の速度で情報を追いかけている彼らが見落とした文化が、そこにあると思うからだ。