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エッサイ

2014 / 03 / 18

三匹のカエル

三匹のカエル

ひとつ前のエッセイについているタグナンバーを見たら、100号になっているのに気づいた。ちょっと自分でもびっくりだ。
70くらいまでは続けたいな、と思っていた。ただ、このエッセイは、マザーレイクという滋賀県のブランドづくりのために書いているので、その目標を達成したかどうかはわからない。
また、これから、どこまで達成できるかどうかもわからないでいる。

不謹慎な話だが、いつだったか、海で遭難して救助を待っていた人たちのニュースを見ていて、
これはブランドづくりというか、僕たちの仕事全般にも通じる話だな、と思ったことがある。
波間に漂いながら、いつ現れるともわからない救助の船を待つなど、想像を絶する世界だが、あきらめたら、その時点ですべてが終わってしまうというのは、
僕たちが日常やっていることに、共通する話だと思ったのだ。期待どおりに、捜索の巡視船が現われることもあるだろうし、たまたま付近を通りかかった船に助けられることもあるだろう。
ただ、計算外のことで救われるためにも、とにかくあきらめずに、何かにしがみついてでも、今やっていることをし続けることしかないのだ。

西欧の寓話だったと思うが、牛乳びんに落ち込んだ三匹のカエルの話がある。あやまってミルクの入った牛乳びんの中に飛び込んでしまった一匹目のカエルは、
すぐにあきらめて、そのまま溺れ死んでしまう。おそらく、悲観的なタイプのカエルだったのだろう。同じように牛乳びんに落ち込んだ二匹目のカエルは、逆に楽観的なタイプだったようで、
まあ、何とかなるさと気楽な気持ちでいたのだが、当然のごとく、このカエルもまたそのまま溺れ死んでしまった。

最後の三匹目のカエルは、楽観的でもなく、さりとて悲観的でもなかった。どうなるかわからないが、とにかく自分でやれることはやってみようと思い、
ミルクの中で足をバタつかせ続けたのだ。そうしているうちに、やがてミルクが固まってバターになり、カエルはそのバターを踏み台にして外へ跳び出すことが出来たのだった。
現実にはありえそうな話ではないけれど、むしろ、何かをし続けるということ自体が、ありえないことを現実にするという点がうまく言い得ていて、とても好きな話だ。