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エッサイ

2014 / 10 / 10

たたずまい

たたずまい偲ぶ会のK君の肖像から

社会人になって数年間、非常に仲のよかった友人の偲ぶ会に出た。思い出を語れと、最初に指名されて立ち上がったが、八割がたは、涙声になって言葉にならなかった。
会社での職場も一時期いっしょだったこともあるが、何よりも、互いに結婚するまで送った、同じ独身寮での生活が、思い出の大半だった。

休みの日には、僕とKには、他の寮の人間たちのように、山に行ったり海に行ったりする高尚な趣味はなかったから、昼前くらいに起きると、たいがい二人きりで寮に取り残された。
寮のまわりの食べ物屋といえば、一軒きりのうどん屋があるだけだった。そこで二人が頼むのは、きまって鍋焼きうどんだった。上等ではないが、量は食べるほどあって、
いつだったか、「俺たちが食べた鍋焼きの鍋を重ねたら、しまいに富士山くらいになるかもしれんな」と、冗談を言いあったこともある。

Kには、もうどちらも社会人だが、長男、長女があった。姉と弟の関係だが、奥さんといっしょに会に出てこられていた。姉さんの方はKの目が、
弟さんの方は、顔というよりは、ちょっとした仕草や雰囲気のようなものが、よく似ているように思った。

会がひけて、店の前で、奥さんと二人の子供さんに最後のあいさつをする段になって、驚いた。後ろから見た息子さんの姿が、生前のKにそっくりだったのだ。
少し猫背で、ひざをややまげて、これでKが愛してやまなかった煙草でもふかしていたら、三十年前のKそのものだった。そのとき、急に振り向いたKが、「おい、元気でやってるか」と、自分に声をかけてくれたとしても、何の不思議もなかった。

人間には、たたずまいというものがある。そこには、顔つきや背格好も影響するのだろうが、一番色濃く出るのは、その人間の生き方のようなものではないだろうか。何を大切にし、どう生きるのか、ということだ。

Kはたたずまいのいい、男だった。何よりも義理堅く、人を大切にした。そのKのたたずまいを、生き写しにしたような息子さんの後ろ姿を見て、少しうれしく、頼もしく思った。

今度、息子さんに会うことがあったら、二人でいっしょに、鍋焼きを食べたいと思っている。フウフウ言って、うどんをすすりながら、「やっぱり、鍋焼きが一番うまいな」と言っていたKが、そこにいるはずだ。