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エッサイ

2013 / 05 / 03

Nさんの思い出

Nさんの思い出

クリエイターのNさんは、広告会社時代の私が、いちばん長く組んでいたパートナーだ。

当時、私の得意先は、首相官邸の向かい側にある総理府(今の内閣府)だった。

仕事のテーマはさまざまだった。交通安全、青少年の非行防止、ふるさと振興、大きなところでは、消費税導入という仕事もあった。それらのテーマを30秒のTVコマーシャルや新聞広告にする。ただ、そのほとんどが、かたいテーマだから、社内のクリエイターからは敬遠されがちだった。Nさんは、それをいやがらず、淡々とこなしてくれた。

その温厚なNさんが、ある日、少し顔を紅潮させて私の席を訪ねてきた。年下の私にさえいつも丁寧語を使うNさんだったが、その日もまた、きっぱりというよりは、お願い口調でこう言われた。

「すみませんが、今回の仕事だけは、他の人に回していただけませんか」。

今回の仕事とは、資源エネルギー庁の原子力発電の理解促進の広報だった。私が仕事を変わって関西に来てからも、毎年、ステキな年賀状が届いた。

ある年の暮れ、Nさん本人からではなく、Nさんの奥様からのハガキが届いた。Nさんが、亡くなったことの知らせだった。後でわかったことだが、足の付け根にできた動脈瘤が破裂しての急逝だった。

その知らせから二日くらいたって、夢の中にNさんがあらわれた。場所は、昔の築地の本社、一階の受付あたりだった。私は、誰かと待ち合わせでもしていたのか、行き過ぎる人波に目線を泳がせていた。その中に、Nさんの姿がとまった。好んで着ていた白っぽい太編みのセーター姿は、Nさんに間違いなかった。

「Nさん」

私は思わず大きな声をあげた。ゆっくりとこちらを振り向いたNさんは、いつものようにとてもやさしい顔をしていた。そのNさんが、唯一、私とのタッグで拒んだ仕事が原発の広報だった。いつも穏やかだったNさんが、信念をこめて拒絶した原発に対する気持ちを、当時の私が、同じ重みを持って受け止められなかったことを悔やんでいる。