写真は、最近、女性誌でよく見かけるエアーフランスの広告だ。いかにもフランスっぽいしゃれた雑誌広告だけれど、広告の世界にたずさわっていた人間から見ると、その表現面での違い以上に、彼我(ひが)の実力の差を感じさせる作品である。差といってもそれはおそらく、これから何十年とかけても追いつきようのない、フランスの広告界と日本のそれとの差だ。
ある広告課題を与えられたとき、その答えは無限にある。クリエイターはその無限の数の答えの中から、これはと思うものを、いくつか提案する。当然、得意先へのプレゼンテーションにたどり着くまでには、提案した何倍もの、フルイにかけ捨てられた、たくさんのボツ案があることは言うまでもない。
ただ、広告となって最後に私たちが目にするものは、そこからさらに多くの関門をくぐり抜けなければならない。たとえば、クライアント(得意先)の広告担当者・責任者、商品担当者、その上司、担当役員、場合によっては最後に社長の目にかなうものどうか、という関門も待っている。承認印でいえば、軽く5つ6つの数にのぼるに違いない。しかも、それらの関門をすべてストレート勝利でくぐり抜けなければ、提案された最初のものが、広告として陽の目を見ることはない。
だから、ここにあるエアーフランスのような広告が世に出るのは、私にとっては、まさに奇跡のような気さえするのだ。誰も反対しなかったのだろうか。
ピクニック風の敷物の上には、ファーストクラスの料理が並んでいるのではない。フランスパンとわずかな果物。これでは、エコノミーの食事にさえ劣る。そもそも彼らが寝そべっているのは、飛行機らしきカタチをした布きれにすぎない。おそらくゴージャス極まりないファーストクラスの長椅子とは、似ても似つかないものだ。もし私が、口の悪い宣伝部長なら、「この広告は、わが社の機内サービスの良さを正確に伝えていない。これでは大人のママゴトではないか!」と、クリエイターを叱りつけたことだろう。
ここで私が目にしているのは、エアーフランスのゆったりした機内サービスの雰囲気だけでなく、フランスという国が、クリエイティビティに対して払う、尊厳のようなものかもしれない。