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エッサイ

2013 / 05 / 03

日本人と自我

日本人と自我

海外の留学から帰ってきた三人の学生に会った。それぞれ、ドイツ、フランス、カナダへ一年間の留学を終えての帰国だ。ひととおり話を聞き終えたあと、それぞれの国の人物評を聞いたところ、三人が口をそろえて言ったことは、「彼らは自我が強すぎる。自分のことしか考えない」ということだった。

この話を聞いて、最初は、わざわざ海外まで行って、ついに日本人気質が抜けきれなかったな、と思った。今の若い人たちは、私たちの時代以上に「協調性」にこだわるような気もしていたし、そんなことでは、これからのグローバル時代に通用するかな、と心配もしていたからだ。

同じころ、テレビでは、ロンドンオリンピックの日本人選手たちの健闘を伝えていた。そして、メダルをとった日本人選手たちは、判で押したように、いちおうに自分を支えてくれたコーチや家族、同僚の選手たち、日本からの応援団の励ましなどへの感謝の言葉を口にしていた。外国選手の勝利インタビューを見た記憶はないが、これほど、自分以外の人たちへの感謝の言葉があったかどうか。

こちらはアートの世界だけれど、海外を活躍の場にしている写真家の杉本博さんも、こんなことを書いている―「西欧では自我を発見することに重きを置く。日本の場合には、自分の精神や魂があるのは、先代、先々代の古い脈絡を引き継いでのことで、自分だけで作ったのではない、という奥ゆかしさがある。その中に少しだけ『これは自分で感じたことだな』というのを入れる。全部が誰の影響もなく自分のアートだ、なんて言うのは、二流、三流という評価になるのが日本の文化だ」(電通報 2011年8月)。

日本人の身体の中には、100パーセントの自分がいるのではない。どこか、1パーセントか、2パーセントくらいは、他人がいる。それはむしろ、このグローバル時代にあって、誇るべきことのような気がしてきた。