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エッサイ

2013 / 05 / 03

新春

新春

新春という言葉が好きだ。今年はとくに寒く、現実の春はまだ遠いのだけれど、
新春という言葉の響きだけで、春はもうすぐそこのような気がする。

春が、何かしら僕たちの心をいざなうのは、冷たい冬を抜け出し、
暖かく明るい陽射しがそこにあふれるからだろうが、また、別の点もある気がする。
ひと言でそれをいえば、春特有の「希望」ということになるだろう。

例えば四月、新入生を迎えた大学のキャンパス。このころだけは、いつもの大学と様子が違う。
キャンパス全体が実にはなやいだ空気につつまれる。一回生はまだ講義をさぼることを知らずに、
まじめに授業に出てくるからだという通説もあるが、それだけでは説明できない、高揚した気分がそこにはある。

これが、希望の光だと思う。何年か大学に通っている学生たちとちがって、新入生たちの目は輝き、
希望に満ちている。大学だけではない。企業も新入社員を迎えるし、駅のホームなどで、
まだ着慣れないスーツとネクタイ姿の彼らを見ると、なんだか、いいなあと思う。ちょぴりの不安と、
でも、それを倍する希望、春にはそんな空気が満ち溢れている。

ただ、こうした春の希望は、いわば、大学や社会が用意した、作られた希望とでも言っていい。
その証拠に、連休もすぎ、そして夏前くらいになると、キャンパスは以前の落ち着きを取り戻す。
落ち着きというか、春の希望もすっかり色あせてしまったと言った方がよいのかもしれない。
同様に、ネクタイを一人前にきっちり締めることができるようになった新入社員たちの顔つきもさえなくなる。

実はここからが大切なのだと思う。学校や会社によって用意された希望ではなく、
年の改まりもそうだが、暦や季節の移り変わりによって生まれる希望ではなく、
自分自身の手で創り上げる希望こそ、本物なのだ。心の中に、いつも自分だけの新春の希望を持つことができれば、と願う。