最近、新商品開発などの場でよく耳にするのが、「ストーリー性」という言葉だ。誰かが「やっぱり、
ストーリー性がないとダメだよね」なんて発言すると、誰も反論できない雰囲気になってしまう。
昔、これくらい重みを持っていたのは、コンセプトという言葉くらいだったと思うけれど、
今では、このストーリー性にすっかりお株を奪われた感じさえする。
こうした背景には、おそらく私たちの身のまわりに、低価格と実用機能一点ばりの、
それこそ物語のない商品が増えすぎた反動もあるのだろう。以前、
このサイトのインタビューゲストにも登場していただいた、アッシュコンセプトの名児耶秀美さんがおしゃっていた、
「メッセージを欠いた商品は、すべてダイソーになる」という発言も、そうした背景に沿ったものだったように思う。
また、ストーリーが、私たちの気を引く別の理由として思いつくのは、太古の昔から、
私たちがあるものごとを理解するのに、物語によって来たということがあるのかもしれない。
ギリシャ神話しかり、日本の記紀神話しかりなのだ。ある人に言わせれば、戦争で何千何百万人の人たちが殺されました、
という無味乾燥な数字を示すよりも、アンネ・フランクという一人のユダヤ人少女の、
その短い生涯についての日記を読み進むことの方が、私たちには、ずっと強く響くのだそうだ。
おそらく私たちの脳は、瞬間、瞬間の事実を、デジタル仕掛けのように組み立てて行くのではなく、
昔から、そうして来たように、ずっとアメのように伸びた物語の筋をたぐってゆくことで、理解を深めてゆくのだろう。
誰の言葉だったか、詩を書くように商品を作ろう、という言葉も思い出す。物語のある商品。
詩のような、心の共感ある商品。このマザーレイクのサイトも、できれば、詩を書くように綴ってゆきたいものだと思っている。