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エッサイ

2013 / 05 / 03

伝えるのは、いつも一対一

伝えるのは、いつも一対一日経アーキテクチャー 1976年 三和シャッター

大学で広告論の講座を持っている。講義中に事例として紹介する話は、スケールの大きなものばかりだ。けれど、自分がかつていた職場でさえ、広告雑誌に紹介されるような作品にたずさわれる機会など、めったになかった。まして、中小と呼ばれる代理店に勤めれば、生涯、ほとんど日陰の仕事と呼ばれる作業に追いまくられて終わることもあるだろう。全国新聞で全ページ広告を打つような大きな仕事か、その新聞に折り込まれる、スーパーの大売出しのチラシを作る仕事かの違いと言ってよい。

カラー全ページ広告と、一枚のチラシ広告。一見、たいそうな違いに見える。ただ、メディアとしてとらえると確かにそうなのだが、その広告を見る側からすればどうだろう。同じじゃない?・・・同じ一枚の紙だもの。

かたや何百万部刷って、かたや、わずか何千枚かもしれないが、それぞれの受け手に届けられたときには、送り手と受け手は、いつも一対一の勝負なのだ。これは全国放送のテレビCMでも、数十個しか作らないビデオパッケージの世界でも変わることはない。

小さな世界から、やがて、大キャンペーンといわれるような仕事の領域までのし上がってくる人は、そこが違うと思う。

「無名の頃」という本に載っていた、デザイナーの副田高行(そえだたかゆき)さんの、初期のころの作品を見た。シャッター会社の雑誌広告だが、まさに息を飲むような作品だ。掲載は業界誌である。商品は、今でいうBtoB商品だ。ふつうなら、ここまで研ぎ澄まされた表現に到達することはない。当時、ある広告雑誌で、この広告について触れて、副田さんはこう書いている?「産業広告、しかも専門誌だという。それは、他のクリエイターが敬遠して、僕にまわってきたらしかった。しかし、サブメディア、専門誌というのは、それだけ、ターゲットが限定されているので、表現も追い込める。おもいきりやれるのではなかろうか」。

どんなクリエイターでも、テレビや新聞のように、伝わる相手の数が多く見込めるメディアの作業なら力が入る。その逆に、チラシの制作や、その業界の関係者だけが目を通すようなメディアの場合、どうしても油断が出てくる。たとえ人の心を動かせたとしても、大した数ではないという油断だ。

でも、それは作る側の勝手な思い込みでしかない。クリエイティブの世界に関するかぎり、僕たちはいつも、仲の良い友人と語り合うように、一対一でしゃべっているのだ。