先日書いた、ブランドはなくなる、というエッセイを読んだ人から、「先生、あの続きを楽しみにしています」という意見をもらった。
エッセイの終わり方が、いかにも続編がありそうな雰囲気に読めたからだそうだ。こちらは、それほど確信をもって書いたつもりはなかったのだが、そこで言い足りなかったことについて書いてみたいと思う。
ブランドとは何かということについて、クリエイターの岡康道さんは、「ブランドとは、消費者の心の中にある定番」と言っている。
一見したところ、もうろうとはしているのだが、急所を突いた表現で知られる、岡さんらしい言いまわしだと思う。
ブランドの精神はこれからも無くならないし、また、ブランドブームがやって来る前からも、ちゃんとあったものだ。
今はこの、以前からも、これからも変わらないだろう、岡さんの言う「消費者の気持」が、異様なほど前に出過ぎているところが、気になっている。
ブランド隆盛の背景には、市場に溢れすぎている商品と、ネット社会が拍車をかけた情報氾濫がその背景にある。
生産者の方は、競合商品の中で埋もれたくないし、消費者の方も、何かと忙しい中、ひと目見ただけで、その商品機能と意味するところを教えてくれるブランドを重宝してきた。
いわば、心の中の定番が表に出たアイコンが、ブランドだったのだ。
ただ、何事も過ぎたるは及ばざるがごとしで、ブランドは、あくまでもその人の心の中にとどめておくべきものだった。
矛盾きわまりないが、ここ数年、滋賀県の伝統工芸の職人さんたちといっしょに、マザーレイクプロダクツというブランドの、デザイン工芸品を作っている。
この3月に、東京で新作の発表会をしたところ、予想以上の反響があった。当然ながら、そこに並んだ陶器の皿やカップにはブランドマークが刻印されていた。
そんな中、発表会に来てくれた女性客の一人に感想を聞いたところ、製品のデザインは好きだけれど、目につくところにブランドマークを刻印するのはやめて欲しいとのことだった。
―「だって、テーブルの上のお皿やピッチャーのすべてにマークが押してある情景って、何だか変だと思いません?」と言われた。
正直なところ、この日あたりを境にして、陰に陽に僕たちの生活や街のすみずみまで刻印されたブランドが、少しわずらわしく思え始めた。
自分の定番はあってもいい。でもそれは人の目に触れないところで、そっと大切にすべきものではないだろうか。