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エッサイ

2014 / 05 / 27

まるめてはいけない

まるめてはいけない

学生のころ数学や物理学をさぼったせいで、その世界にうといのと、今書いている本が少しその領域に関係しているせいもあって、
ある先生に付いて勉強し直している。先生は、この春ごろ、京都で行われた講演会で出会った方で、あつかましくも私の願いを申し出たところ、
快く引き受けてくださったのだ。何しろ先生は、難解なアインシュタイン方程式を解いたという、世界でも数少ない科学者の一人とかで、私にとっては、雲の上どころか、宇宙のかなたの、そのまたかなたにいらっしゃるような方だ。

先生との時間はいつもあっという間に過ぎてしまうのだが、私の投げかける質問が、おそらく子供のそれのように素朴きわまりないのだろうか、
終わるといつも、にこやかに笑いながら、「いや、実に楽しい時間でした」とおっしゃってくれる。

前回うかがったのは、実数と虚数についての話だった。私の専門の情報論と虚数の世界が関係していることは、自分でもいいところまで追いつめているつもりだが、
今一歩、詰め切れていない。一方、先生の専門領域でもある量子の世界は、虚数をふくんだ数式にちりばめられている。超ミクロの世界を過不足なく説明するには、とても実数だけでは足りないのだ。

先日も、「どうして、量子の世界には、虚数が必要なのでしょうか?」という、いかにもドシロウトな私の質問に、先生はしばらく考えこまれた後、
「足したり引いたりしてはいけないものを、虚数をつけて区別しているのでしょうね」と答えられた。実にすっきりとした、これ以上ないようなお答えだった。

ミクロの世界に限らず、それが積み重なった上に立つ私たちマクロの世界でも、絶対にまぜこぜにできない、あるいは、してはいけないものがある、と先生はおしゃっているのだ。
たとえば、1+1は2だが、答えの2を得た後に、出発点である1+1の部分をうっかり消してしまったとしよう。こうなると、実はお手上げなのだ。2になるのは、1+1だけではない。
3?1でもそうだし、無数にある。しかも、2になる前のものが、足したり引いたりできないものだったら、さらに話はややこしくなる。

私たちの日常は、平気でこのミスを犯している。たとえば、とにかく成長することが大切だといって、文化も、人と人の愛も、ゆとりもかえりみない。
個々の性格は打ち捨てて、ひとつにまるめこまれた数字だけを追い求めてやまない。それに反して、量子の世界を説明するのに虚数が必要だということは、
ミクロの世界ではちゃんとそのあたりのことが区別されている、ということになるのである。