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エッサイ

2014 / 09 / 10

ていねいな時代

ていねいな時代

ここ一年くらいのことだろうか、新幹線に乗っていると、突然、前の席の人から「すみません、背もたれ、倒していいですか」か、とたずねられるようになった。
最初は、びっくりしたというより、何のことかよくわからなかった。「変な人?・・・勝手に倒せば」とノドまで出かかったが、こちらが口をもぐもぐさせていたら、背もたれの方が先に倒れてきた。

前の背もたれが突然倒れてきたら、非常に困る人がいるのだろうか。私は弁当でも、ビールでも、どしどしプレートに載せる方だ。だが、それがひっくり返った経験はない。
そもそも、誰かが前の席に座れば、そろそろ倒してくるんだろな、と用心している。

そんな変てこりんな経験のあとしばらくして、近くの席で、だまって倒したのが乱暴だ、いや、すいませんでした、と気まずい雰囲気になっている光景を見かけた。
最近では、だまって倒す人と、何がしか声をかけてくる人が、半々くらいの感じだ。

私は今のところ、だまって倒す派だ。たしか、今年で新幹線開業50周年のはずだけれど、少なくとも48年と半年くらいは、
みんなだまって背もたれを倒してきたのだから、今さら何を、と少しばかり意固地になっているところもあるのだが。

こうした「新幹線背もたれイクスキューズ現象」については、ささいなことだけど、みんながていねいになったというよりは、異常なほどのていねいさを持たなければ生きていけない、
息苦しさの方が気になっている。もともと一人一人の人間の周囲には、ふんわりとした余裕の部分があって、何かのはずみで触れ合うことがあっても、それでケガをしたり、
イライラしたりする必要がないように出来ているはずだ。声をかけあって、お互い気まずい思いをしないように、というよりは、何かのはずみで、
すぐにイライラしてしまう、人々の間にたまった熱いマグマのようなものの方が、恐ろしい気がする。

では、半世紀近く、新幹線背もたれイクスキューズしない派だった日本人は、ガマン強く、辛抱強い人たちだったのだろうか。
もちろんそんな気質もあったかもしれないが、もっと別の部分を心の中に持っていたからだろう。それを一言でいえば、「自分のことを棚に上げない」という精神だ。
他人のしたことで、何かいやなことがあっても、「ああ、自分も気がつかないうちに、他人に迷惑かけているんだろうな、ここはガマンガマン」といった気の持ち方だ。

イクスキューズ要求派のあなた、仕事熱心なのはいいけれど、パソコンのエンターキーをバシバシ叩いて、逆に周囲の乗客のヒンシュクかってませんか?