僕は、バリバリの朝型人間だ。朝はどんなに早くとも苦にならない。その一方、夜は8時過ぎくらいになると、もう眠くなる。
昔からこんな調子で、試験勉強も、一夜漬けというのはまったく不向きだった。一夜もずっと起きていられないのだ。
もちろん、すぐ眠くなるのだから、頭もまわらない。他の人のように、徹夜した翌日に試験問題に取り組むなんて、僕にとっては想像を絶する出来事だった。
その代わり、よく睡眠をとった翌日の朝は、すこぶる調子がいい。とくに、シャワーを浴びて、歯をみがくあたりの時間が、最高の感じがしている。
ずっと考えを巡らしていたことの答えが、ふと見つかるのは、だいたいこの時間ゾーンだ。しかもその答えは、おおよそ正解のことが多い。
では、この絶好調ゾーンが一日のうち、どのくらい持続するかというと、せいぜい午前中の9時、10時あたりまでというのが、残念なところでもある。
出来れば夕方くらいまで持って欲しいところだが、そんなにうまくいかない。昔の勤め先が、築地の近くだったから、「もし、魚市場にでも勤めていたら、
たぶん俺はエラくなっていただろうな」と、自分でも密かに思っていた。一日の仕事が、早朝のセリで終わるなんて、僕にとってうってつけの仕事だったのである。
では、そうした朝にだけ好調な僕の脳みそが、どんな具合になっているのか考えてみると、そのときだけはどうも、「子供のアタマ」になっているようなのだ。
別の言い方をすると、余計なことを考えずに、とても素直な状態にあるとも言ってよい。不思議なことに、そのときだけ、問題に向かってまっすぐに進めるのだ。
それが、昼をすぎてしまうころから、いろんな雑念が入ってきてしまう。どうも、下水にたまったゴミのようなものが、大人にもどった私の脳を支配してしまうのだ。
こんな変てこりんな性分は、僕だけのことかと思っていたところ、外山滋比古(とやましげひこ)さんの「思考の整理学」という本の中に、同じようなことが書いてあるのを見つけた。
しかも、外山さんの場合、念が入っていて、朝型を十二分に活用するために、昼寝までするのだそうだ。たしかに昼寝をすれば、一日のうち、朝が二回やってくる計算になる。
そして、外山流にいえば、何でも立ちどころに片づいてしまう、このすこぶる効率のよい時間のことを「朝飯前」とよぶのだそうだ。