私たちの社会は、多くが交換によって成り立っている。パンが欲しいと思えば、その代価をお金で払う。パンとお金を交換するのだ。肉も野菜も、クルマもパソコンもみんな同じだ。もちろん、何かを手に入れるために使われるのは、お金だけではない。例えば、友だちと食事をしていて、ボクこの野菜は苦手だから、チキンと交換しない? といった交換もしばしばあることだ。
けれど、交換を前提としない活動もないわけではない。家事はその代表だ。たとえば、炊事や洗濯、子供の世話、これらのほとんどが交換とは無縁の行為だ。とんでもない、カミさんには、月給の全部を渡しています、というサラリーマンも少なくないだろうが、月給からの支出は、奥さんの家事サービスとは無縁である。家賃や食費、子供の教育費、レジャーの費用など、それらはちゃんと外部のモノやサービスとの交換で支出されるお金なのだ。
そして、家事にかぎらず、今回の震災や津波関係のボランティア活動なども、非交換の活動の最たるものだろう。震災後の3カ月間に、岩手・宮城・福島の3県で活動したボランティアは、のべ約42万人という数字もある。
また、あまり気づかれていないが、美しい自然や街並みの風景などから得られる満足感、心地良さなども、基本的に交換を必要としない価値だ。もっといえば、相手の人の笑顔や気持ちのよいアイサツなども、私たちが知らず知らずのうちに受けている非交換の価値なのである。
こうして並べていくとわかるように、私たちの暮らす社会は、すべてがお金やその他のものとの交換や貸し借りで成り立っているわけではない。むしろ最近の、ボランティアや自然・街並み景観保護への関心の高まりなど、非交換の価値が占める割合は増えつつある。
そして、こうした交換のない活動は、当然、GDP(国内総生産)などの経済の数字に組み込まれることはない。ちなみに家事労働だけでも、お金に換算すると、役所の調べでは、GDPの約20%を占めるという。つまり、経済成長のゼロコンマの数字を追って一喜一憂するような社会は、日本ではとうに終わっているのだ・・・。