半年前から、私の専門とは畑ちがいの企業の社員研修を受け持っている。
兵庫県のJR山陽線の駅から、さらに30分くらいクルマで山側に走ったところに、その工場と本社はある。
作っている製品の種類はいくつかあるのだけれど、主力のひとつは工業用の接着剤という、いわゆるB to Bの会社だ。
そんな会社だから、なぜ私が指導?ということにもなるのだが、仲介をしてくれたコーディネイター氏の話では
、「製造業でコチコチなった社員のアタマを、先生の力で柔らかくして欲しい」というのが依頼の理由だった。
研修の仕上げとして、3月に、成果をまとめた発表会を行うことになっている。
私の指導するグループの他にも、別に2つグループがあるので、通常の勤務が引けての発表会では、
あまり時間がとれない気がしていた。先日、中間発表会が行われ、その帰り道のクルマの中で、コーディネイターに、そのことを相談してみた。
「3月の発表会のスタート時間ですが、就業時間が終わってからでは、少し遅いような気がするのですが、スタートを少し早めませんか」
ハンドルを握りながら、コーディネイター氏は、私の問いには答えず、こんな話を切り出した。
「接着剤の製造というのは、非常に微妙らしいですねえ。溶剤の熱加減で、仕上がりが全然違ってくるらしいのです」
「そうですか。僕にはよくわかりませんが、そんなに微妙なものですか・・」接着剤の作り方はともかく、
私が聞きたかったのは、発表会のスタート時間のことだった。少し間をおいて、こんな答えが返ってきた。
「実は、今回の研修生の中にも、その溶剤の熱調整の窯の前に立っている人が、何人かいるらしいのですよ」。
ここまで聞いて、私はハッとした。製品の温度調整の大切な見張り番に立っている担当者が、
「今日は研修の発表会がありますから」と、いつもより早くその場を離れられるわけがない。工場のラインとは、そういうものだろう。
製造業の人ならごく当たり前にわかることだろうが、文系頭コチコチの私にはおよびもつかないことだった。
人間、立場が違えば、これほど盲目になってしまうのだろうか。
外を見やると、会社に向かうときは田んぼだらけだった車窓も、今は街路灯以外、何ひとつ明かりは見えなかった。
その真暗な道を、クルマはひた走っていた。