春先のことだった。朝の散歩の帰り、いつもの信号にさしかかった。押しボタン式の信号で、
なかなか青に変わらないところだ。その日は運よく、すでに点滅を始めていたが、青信号だった。走れば、なんとか青の間に、渡りきれる感じがした。
その交差点へは、クルマがやっと通れるくらいの小道から出てゆく。よし、走ろう、と一歩踏み出したのだが、
なぜか、「いや、そんなに急ぐこともない」と、踏みとどまった。その瞬間だった。
猛烈なスピードで車道から左折してきたバイクが、その小道に突進して来て、驚く私の脇をすり抜けていった。
まだ、青信号が点滅していたのだから、車道は、当然、赤信号のはずだ。裸足にサンダル履きの青年がまたがったバイクが、
エンジン音もけたたましく過ぎ去ってゆくのを、私は、呆然として見送った。
私がそのまま交差点に走り出していれば、私もバイクも、逃げ場はない。
よけるためにハンドルを切り過ぎて、バイクがひっくり返るか、私がそのまま跳ね飛ばされるかの、どちらかだったろう。
はねられていれば、バイクと私は正面衝突である。大けがは免れなかっただろう。いや、悪くすれば・・・。
こういうことは、誰しも経験があるだろうし、自分にも、過去、何度もあったような気がする。
ただ、このときは、自分で強いて思いとどまったことが、事故をさけることにつながっただけに、ヒヤリとした思いが、いつまでも強く残った。
私たちは、何かが「ないこと」を悔やみがちだ。お金がない、ヒマがない、〇〇がない。
もし、それが手に入ればどんなに良いことだろう、幸せだろう、といった思いで、毎日を送る。
ところが逆に、何かが「なかったこと」を幸せに思うこと、喜ぶことは、滅多にない。
なかったことを喜ぶのだから、それは良いことではない。しかし、例えば、これまでの自分を振り返ってみても、
良いことが「なかったこと」を悔やむよりも、悪いことが「なかった」ことを喜んだ方が、正しく今の自分を見つめている気がする。
「なかったこと」はむしろ、幸福なのである。