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エッサイ

2013 / 10 / 09

アリのまま

アリのまま

人待ちにベンチに腰かけていたら、何匹かの小さなアリが、ごそごそと自分のカラダの方まで這い上がってきた。
手で何度か取り払っても、またすぐに、読んでいる新聞の上まで這いまわり始める。どこから上がってくるだろうかと、
地面に目を凝らしてみると、芝と地面の生え際あたりを、それこそ無数のアリが駆け回っている。ちょっとびっくりだ。
おそらくどこかに巣でもあって、エサでも探しているのか、みんなそれぞれが忙しそうに立ち働いている。

そのアリを眺めているうちに、な?んだ、人間とそんなに変わらないな、と思った。それくらい、
チョコチョコした動きが人間の感じと似て見えたのだった。自分のため、会社のため、家族のため、まさに人もアリと同じように働いている。

だったら、人間とアリはどこが違うのだろう? やがて思いついたのは、お金のことだった。
アリはお金を持っていないよね―そんなことは当たり前だけど、お金というものがあるか無いかで、
アリ社会と人間社会が、全然ちがったものになっている気がしたのだ。

アリさんの働き方は、懸命さでは、人間と同等かそれ以上かもしれない。
でも、その一匹一匹の働きは、自分の巣以上の範囲を超えることはない。自分が手にしたエサは、自分の巣に持って帰るだけだ。
けれど、人間は違う。私たちのする仕事は、自分の家や会社の域を超えて広がっている。アリのように自分の歩ける範囲、
目の届く範囲にとどまらず、それ以上の広がりを持っているのだ。

例えば、私の来ている服も、履いている靴も、またお昼に食べた野菜や魚も、私が全然知らない、
一度も会ったことのない人たちが作ったものだ。また、私が書いた本も、多くは、私の知らない人たちが手にしていることだろう。

そして、こうした広大な広がりを持った人間と人間、社会と社会を、知らず知らずのうちにネットワークしているのが、
お金というシステムなのだと思う。自分で作ったものをお金に換える、そのお金で、見知らぬ人が作ったものを手に入れる。
また、そのお金が・・・、こうして人手から人手へとお金が渡っていくことで、いつの間にか、地球の裏側同士の人と人までが結びついてゆく。

もし、お金という不思議なバトンの発明がなかったら、私たち人間社会も、いわばアリのまま、自然のままだったかもしれない・・・。