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インタビュー

2013 / 10 / 09

新津保 建秀


写真家
(しんつぼ けんしゅう)

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○ 新津保 建秀

http://www.kenshu-shintsubo.com

新津保 建秀

私は、メディアの中に石を投げ込むことに興味があるのです。

東京都生まれ。写真、映像、フィールドレコーディングによる制作を行う。
近年の活動として、2008〜09年 不可視の情報の流動を風景としてとらえた《Binaural-Scape》、
10年 複雑系科学の研究者 池上高志との共同作品《RuggedTimeScape》(FOIL GALLERY)、
東京大学 知の構造化センター岡瑞起、橋本康弘らによる“動く地図”pingpong projectとのネットワーク上のプロジェクト
《きこえる? School&Music》、12年 個展「 landscape+」 ( ヒルサイドフォーラム)がある。
主なグループ展として、11年「メディア芸術祭ドルトムント展2011」(ドルトムントU)、
12年「Possible Water〈コモンズ〉としての未来」(ドイツ文化センター)など。最新の写真集に「?風景」(2012年)がある。

―新津保さんの作品を拝見しますと、アートの世界から、広告のようなマスメディアの世界、
また最新のデジタルの世界まで幅広くご活躍ですが、まず、新津保さんにとって、写真とは何でしょうか

新津保―写真の根源的な構造はそれまで無意識的に見ていたものを立ちあげるための、
なんらかのフレームの設定だと思っています。ふだん僕たちが目で見ている世界をフレーミングすることによって、
それまで茫洋としていたものが立ち上がって来るのです。そのフレームの意味をその内側とその外側の余白の双方から考えていきたいと思っています。

―となると、私たちが通常思っている写真と少し意味合いも違ってきますね。

新津保―写真というとそこに何が写っているのか、あるいは写真自体が持っている記録性の側面や、
かけがえなの無いこの“私”がどう「世界を見たか」という物語につい話が行きがちです。
もちろんこれらは魅力的な側面だけど、僕自身は写真術が発明される以前の、例えばカメラオブスクーラの中に立ち現れる風景のように、
あるシンプルな構造が設定されることで世界を立ち上げてくれる写真の基本的なところに興味があります。
写真はレンズを通して光学的に撮られ像をむすんだものと思われていますが、私達が日常的に接している現在のメディア環境、
ネットワークやパソコンのスクリーン、あるいはアルゴリズム自体を暗箱として捉えたときどのように自然が立ち上がり、
いかなるイメージの連鎖が成立するのか。そうした中でこれまで撮影対象と対になっていた撮影者の視線との関係がどのように変化しいくのかを見てみてきたいです。

―そういえば、私たちも、自分で撮った写真をパソコンのソフトを使って、いろいろ加工して写真だと言っていますね。
ここで、今回の個展の池上さんとのコラボ写真について解説をお願いできればと思います。

新津保―今回の個展は3室に分かれていて、1室目はここ数年におこなったコラボレーションを、
2室目は写真集『?風景』から、3室目は『?風景』の要素を発展させたものと映像より構成されています。
池上さんとの作品はこの1室に展示されている2010年に制作したRugged TimeScapeというシリーズです。
雲、煙、雲海、球体上の光のスペクトルなどの流動的なイメージを捉えた画像データをそれぞれアルゴリズムに投入して生成したものです。
この過程で風景は多層化し精緻な質感を獲得します。この池上さんとの作業では写真における光学的無意識がテーマになっています。
それを抽象度の高い構造やパターンを撮ったりすることではなく、一枚の写真が持つ時間関係、並列性、
可能世界をアルゴリズムを用いた再帰的な構造のなかで表現できるのではという試みです。

池上高志氏とのコラボレーション作品 Rugged TimeScapeシリーズから
池上高志氏とのコラボレーション作品 Rugged TimeScapeシリーズから池上高志氏とのコラボレーション作品 Rugged TimeScapeシリーズから

―そういう意味で、近年、メディアが大変化をとげている中で、新津保さんが、とくに興味をもって活動なさっているのは、どんなところでしょうか。

新津保―写真や図像を、メディアによって形成されたパブリックな空間の中へ小石のように投げ込んだときに、
情報の連なりの中でどのように伝播していくか、またそれらがどうアーカイブ化されていくかという点です。

―そのあたりを、さらに具体的にうかがいたいのですが。

新津保―2009年の春、あるアイドルグループのマネージャーさんと知り合い、彼の協力のもとでこのグループの展開と、
ネット上のファンの人たちのコミュニティの発展を定点的に記録していきましました。お会いした当初は原宿や秋葉原で路上ライブをしていた彼女たちは、
最終的には2012年末に紅白に出場しました。僕が当時このマネージャーさんと一緒に取り組んだのは、
メンバーの中の一人を、アイドル写真とは異なる方法で定期的に撮り、その写真を一年にわたってアイドルが
掲載されないような文脈の紙とウェブ双方の媒体に実験的に配置していくことでした。
それらの画像群がある瞬間からTumblrなどで無限的に複製されてネット上で拡散し特定の人の人気が上昇していったり、
予想もしなかった言説が生まれるのを見た過程で、情報の流れの中に置かれたイメージが起点に起こるさまざまな作用についてあらためて考える機会になりました。

―これからも、そうしたマスとデジタルネットの間を、自由に行き来されるようなお仕事を続けて行かれるということでしょうか。

新津保―当分はそうだと思います。やっている作業は紙媒体で行ってきたことの延長ですが、
大きくことなる点はデジタルの世界ではイメージが無限複製されていき、見知らぬ他者のアーカイブに取り込まれていく過程で
どこからどこまでがオリジナルの制作者なのかはっきりわからなくなっていくところです。
個人的にそうしたイメージの連鎖と個人のアーカイブの境界にどのような風景が立ち上がるかに関心があります。
昨年刊行された「?風景」という写真集を見ていただけると嬉しいです。

写真集「?風景」から写真集「?風景」から

―一方で、新津保さんの作品には、広告のグラフィック写真のような、私たちにとって馴染んだ領域のお仕事もたくさんあるわけですが、
そのあたりは、ご自身の中で、どのように位置づけられているのでしょうか。

新津保―それぞれを等価に繋げて捉えています。たとえば、銀行や大手飲料会社や新聞社など、
大企業の案件の場合も、その作業には企業と社会をつなぐビジュアルコミュニケーションにはその時代の無意識の上澄みを汲み取り、
純度を高めていくような側面があります。こうした現場はたくさんの異なる専門家との共同作業になりますが、
そこではイメージを媒介にしながら社会と個人の関係を探っていくことになります。興味深いのはそこで行うリサーチのための撮影や、
その過程で得られた視点が不意につながって僕個人の関心を越えた膨大かつ有機的な画像群ができる瞬間があることです。
こうしてできあがる僕個人の関心を越えたアーカイブにできる澱みと上澄みをフレーミングすることができないかと考えています。

インタビュアーの+α

本当に偶然なのだが、あるデザイナーのオフィスをおたずねしたおり、そのオフィスの階下のギャラリーで個展を開かれていたのが、
写真家の新津保さんである。不識で恐縮だが、私は、写真界の最先端で活躍されている新津保の存在を知らず、
また、当然に面識はなかった。幸い、ギャラリーにおられた新津保さんを、くだんのデザイナー氏に紹介してもらい、
しかも、会場の作品をご本人に説明していただくことになった。

作品の高さはいわずもがなだが、新しい仕事をされている人の言葉は、一言、一言、私にとって未知の言葉として突き刺さってきた。
しかも、お仕事は、しろうと考えの写真の領域を超え、デジタルの世界と現実世界を行ったりきたりのようだ。
このサイト制作のために、昨年、ミラーレスカメラを買ったばかりの私にとって、まさに、雲の上のような存在のアーチストである。