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エッサイ

2013 / 10 / 03

コナクリの少年

コナクリの少年

意外と知られていないが、大学にはさまざまな委員会がある。そこで、しょっ中、会議が開かれている。
主だった役職につくと、一日で三つくらいの会議に出ることは珍しくない。
そして、その中身はといえば、当たり前のことだが、「学生をいかに勉強させるか」だ。

こうした会議は、私が大学に来る前からも行われていただろうし、また、これからも、あらゆる方面から議論され、
そのためのさまざまな工夫が行われることだろう。ただ、そうして絶えず議論がなされ、
多くの時間がさかれてきたにもかかわらず、今日でもなお、その努力が続けられているとすれば、
裏を返せば、その妙薬は、いまだどこにも見つかっていないということでもある。

ところが、こうして教員も職員も懸命に探して見つからない薬が、たまに、ぽっかりと見つかることがある。
その一番のケースが、社会人になった後のOB学生に会ったときだ。みんな口をそろえて、
「なぜ、学生のときに勉強しなかったのか」と大反省なのだ。
「今なら、先生の話を必死で聴きますよ」とも言う。そう言われても、こちらも困るばかりなのだが、目を見れば真剣である。

つまり、勉強させるための妙薬は、勉強から遠ざけるにしくはないという矛盾した答えなのだが、
ちょうどそれは、料理をおいしく食べるには、腹をすかせるのが一番、というのと同じことかもしれない。

ただ、勉強させるために、学生を勉強から遠ざけるという工夫は、教育する側としてはとうていできないので、
ときどき、私自身が私自身を叱咤するために、見返しているある記事を紹介することにしよう。

1999年8月、ブリュッセル空港に到着した飛行機の着陸装置の中から、二人の少年の凍死体が見つかった。
飛行機は、ギニアの首都・コナクリからの便だった。その一人の少年の遺体から、大事に包んであった手紙が見つかった。
「ヨーロッパの指導者のみなさん、僕たちは貧しさと戦闘に苦しんでいます。
十分な食料も教育も受けられないままです。僕らもヨーロッパのみんなと同じように勉強がしたい。
どうか、アフリカを救ってください。そのために、僕たちは命をかけます」。