夏の暑さもすっかりひき、陽射しの中にいても平気な日よりになったので、ひさしぶりに湖の写真を撮りに行くことにした。
湖東の駅から30分ほどバスに揺られて終点で降りると、すぐに湖が見えてきた。台風がいったばかりのせいか、空の青さが濃くて、
そこをいろんな形の雲が勢いよく流れてゆく。湖面も少し波立っていて、それが岸の大きな岩にぶつかり、海の潮のように波頭がくだけていた。
反対の山側には、まだ夏の勢いを失わずにいるツルの葉が緑の壁を作っていた。
そば路を歩きながら感じたことは、「自分は生きているんだなあ」ということだった。
それは当たり前すぎるほど当たり前のことだったけれど、生きていることと、生きていることを実感することは、ずいぶん違うような気もした。
生きていることをはっきりと意識するには、人の手で造られた世界から、もっともっと降りて行き、
じかに自然に触れることが必要なのだろう。風や水や、木々や草々のゆらぎを肌で感じることが、
その昔、生き物としての自分を意識して暮らしていた頃を、はっきりとよみがえらせるのではないか。
午後から、同じ町の駅前のホテルで行われた集まりに顔を出した。私以外の人たちは、ほとんどが生物系か工学系の先生たちで、
自分がそこにいることが少し場違いな感じもしたが、つい今しがたまで生々しい自然のそばにいただけに、トンボや魚たちの話がいつもより身近に感じられた。
集まりのテーマは、バイオミメティクスという、「生物の知恵を借りてモノをつくる」という最先端の世界の話だった。
虫や鳥など自然界の生き物たちは、例えば人間と同じことをするのに、はるかに小さなエネルギーと素材をうまく組みあわせて生きている。
一方、私たち人間は、自分自身が自然界の生き物だということをすっかり忘れて、膨大なエネルギーを使い、
大がかりな仕掛けでもって、ビルを建てたり、飛行機で空を飛んだりしている。おそらく彼ら見ると、
「なんだか人間って遅れてるね」という感じなのだろう。そして何よりも、私たちの暮らす人間世界は、
昼間、湖で見た、湖面を舞うシラサギや、風になびく野草の美しさには、とうてい及ばないということだった。