海外に出ればすぐわかることだが、日本は豊かだ。正確さを期して言えば、おしなべて豊かだ。
ヨーロッパの先進国と言われる国々でも、ふつうの人が暮らす集合住宅の出入り口にも、しばしば物乞いの人々が座っている。人通りの多い町中なら、なおさらだ。
スペインに暮らしたころ、ある年のクリスマスイブの夕方、たまたまオモチャ屋さんの前を通りかかったときのことだ。
店の入り口に、物乞いの親子がいた。母親の腕に抱かれた二、三歳くらいのその子供は、紙でこしらえたような粗末なサンタクロースの服を着せられていた。
おそらく北アフリカの国から来た移民の親子だろう。移民といえども人間だ。オモチャ屋の明るいイルミネーションと、
うつろな顔をした母親、そして、紙の赤いサンタクロース衣裳をまとった子供の眠り顔は、今でも目に焼きついている。
異国で物乞いをしている暮らしの方が良いのだから、たぶん、その親子が生まれた母国の生活はもっと悲惨なのだろう。
こうした国々に比べれば、日本ははるかに豊かな国だ。そうした豊かな国がさらに上を目指す必要があるのだろうか。
あるいは、一歩引いても、同じような豊かさの基準にいつまでもとらわれる必要があるのだろうか。もっと別のことを考え、もっと別のことをすべきではないのか。
これも当時のスペインにいたときに聞いた話だが、パリやニューヨークの街角で、ブランド商品に殺到する日本人女性のことが、
しばしば話題になっているらしかった。確かめたわけではないが、パリのフォーブルサントノレ通りでは、
そこの有名なハンドバック屋に謂集する日本人を見ることが、他国の観光客の目を楽しませるひとつになっている、とも聞かされた。
お金持ちかどうか、あるいは、そうでないかは、その人の努力や運、環境、さまざまなことの結果であって、口をさしはさむ問題ではない。
しかし、他の人たちから見れば、すでにじゅうぶん過ぎるほど豊かな人が、なお背伸びをしてやまないのは、やはりどこかおかしいと言うべきだろう。
サンタクロースは、本当は、別の国の、もっと別の子供たちのもとへ行って、「メリークリスマス」と言いたいのではないだろうか。