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インタビュー

2013 / 11 / 05

椿 玲子


森美術館
アソシエイト・キュレイター

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森美術館

現代における問題を創造力によって別種のものに変化させることができるように思えるところが、私にとっての現代美術の存在意義です。

滋賀県大津市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科創造行為論修士課程修了、パリ第?大学哲学科(現代美術批評)修士課程修了。成安造形大学客員教授。

―まず、椿さんと、現代美術のご関係について教えてください。

椿―最初に、なぜ美術なのかということについてですが、何かを伝えたい時にはいろいろな手段があります。
文字にして論文を書いたり、本にして発表したり、ドキュメンタリーを制作することも可能だと思います。
ただし、美術の世界の表現でなければ伝わらないことがあると思うのです。様々な両義的な問題や感情、
理論で説明できないようなことなど、絵画や彫刻のみならず、映像、インスタレーション、パフォーマンス、参加型アート等々、
表現でしかうまく伝えきれないものがあると思うのです。そして、そこに私は興味があります。

また、なぜ現代美術なのかということについてですが、大学時代は、一般的な美学美術史を学びつつ
「常に新しいものを生み出す運動としてのモード論」を研究してました。美には普遍的な美ももちろんあるのですが、
フランスの詩人であり、優れた美術評論家でもあったボードレールが語ったように、次々とうつろいゆく美、
同時代でしか共感されない形の美もあると思うのです。ファッションのみならず、デザイン、建築、音楽、ジェンダー論、
思想など全てにおいて、現代人であれば、共感し、ある種の問題解決のようにも思える提案があるのではないかとも思えます。
もちろん、ある程度は固有の文化的なものに左右されると思いますが。
このように、どうして人は新しいものを求めるのかということには常に興味があります。

その後、2000年から2002年にかけて、パリ第?大学の哲学科で現代美術批評を学んだのですが、
そこでは「新しい感覚の発見としての現代美術」というのをテーマにしていました。
作家は社会におけるアンテナのような役割を担っていると思っています。
現代の社会に、何らかの新しい、別種の視点をもたらしてくれるものが、私にとっては、現代美術だと言えるかもしれません。

―森美術館でキュレーターをなさっているきっかけと、お仕事の内容について教えていただけますか。

椿―パリにいたときに、現代美術作家の柳美和(やなぎみわ)さんに出会いまして、
東京の六本木に新しく美術館ができることを教えてもらいました。それが森美術館だったのです。
森美術館では、年間に3つくらいの大きな企画展があり、テーマ展や個展、また時には建築展なども行っています。
企画内容を考え内容が固まった後は、作家との交渉や、作品を所蔵している美術館、コレクターとの交渉、
作品の輸送、設営・展示のスケジューリングなど、様々な業務もキュレーターの仕事になります。

森美術館「六本木クロッシング2013展:アウト・オブ・ダウト――来たるべき風景のために」展示風景 2013年<br /><br /><br />
写真提供:森美術館 撮影:渡邉修森美術館「六本木クロッシング2013展:アウト・オブ・ダウト――来たるべき風景のために」展示風景 2013年
写真提供:森美術館 撮影:渡邉修

―現代美術というと、どうも一般の人たちには、とっつきにきくい面もあると思うのですが、そのあたりについていかがでしょうか。

椿―あくまでも個人的な体験なのですが、例えばパリでは、映画を観に行くことと、
美術館に足を運ぶことがまったく同列なのです。日本の場合ですと、映画はわりと気楽に行きますが、
美術館に行くとなると、ちょっと身構えますよね。そのあたりが、パリと日本とでは全然違うところです。
パリでは、現代アートの殿堂であるポンピドゥーセンターに、ふつうの会社員も行きますし、数学者も行けば、街の八百屋さんも行くのです。

また、日本の場合、少しブランド志向が高い気がします。自分の目で作品を鑑賞する前に、どうしても作家の世間的評価とかネームバリューの方に気がゆくようです。

その意味からいえば、自分自身の目で、何かの価値判断をするということが必要かもしれませんね。ただそれも、感性だけに頼るのではなく、
とくに現代美術の場合は、社会問題に関する関心や、それらについての知識なども多少必要かと思います。
社会問題性が高い作品の場合、私たちでさえ、作品に添えられた作家のコメントを読んで、あらためてその作品を見直すということもあるくらいですから。

―最近、日本の各地で、アートによる情報発信の動きが高まっていますが、それについてのご意見をいただければと思います。

椿―いちばん大切なことは、継続するということではないでしょうか。
これは、美術展に限りませんが、その地域の人々の関心や意識が高まってゆくには、どうしてもある程度の時間が必要だと思うからです。
それに、そうしたアートイベント開催の本来の目的は、おそらく美術に対する関心の高まりや、
それをきっかけとした地域の人々や外の人たちとの交流が生まれることだと思います。

例えば、地域の人々の美術への関心の高まりということでいえば、そうしたイベントをきっかけとして、
地域の子供たちが現代アートと接する機会を設けるという工夫もできるでしょう。私たちの美術館でも、
言葉をしゃべり始めたばかりの小さな子供さんといっしょに、親子で会話をしながら展示室を見て回るツアーの企画なども実施しています。

それと、若い作家を育てるという意識も欲しいですね。美術展というのは、そこに参加する作家たちに、
新たな創作活動の場を与えるという意味もあるのです。回を重ねるごとに、そこからたくさんの作家たちが育っていくというのが、理想的な姿だと思います。

―滋賀県がアートによる情報発信をする場合についてのアドバイスが何かあれば、お聞きしたいのですが

椿―滋賀県といえば琵琶湖がすぐに思い浮かびますが、全国の人たちに、
もっと知られてよいと思うのは、仏教美術の宝庫だということです。それらの仏教美術と現代アートがいっしょに見られるようなアートイベントや、
そのための施設などができたら面白いと思います。それも、ただいっしょに並べるだけではなく、お互いの良さが際立つような工夫や、
滋賀の歴史や風土が、現代アートとともに学べるようなことができるといいですね。

ちょうど今、私が教えている成安造形大学の講座で、学生たちに、大津の三井寺や比叡山延暦寺、
日吉神社などを見てまわってもらって、そこで彼らが感じたことを、作品として表現する課題を出しているところです。
アートというのは、日本でも西洋でも、もともとは宗教の世界が主な舞台だと言ってよいくらいです。
学生たちが、どんな作品をプレゼンテーションしてくれるか楽しみにしています。

インタビュアーの+α

私だけの感想かもしれないが、椿さんは、最初にお会いしたときから、過去、どこかで一度会ったことがあるような感じを与える人である。
パリ第?大学での修士号、そして現代美術のキュレーターといえば、ふつう、どんな会話から始めようと戸惑ってしまうものだが、
そんな感じがなかったのは、椿さんが持つそうした既視感のせいかもしれない。

「どうして人は新しいものを求めるのか」―今回のインタビューの冒頭、椿さんが発した言葉だ。
人は生涯の道を選ぶにあたって、こんな根源的な問いかけから出発しないものだが、その問いかけどおり、
今の仕事につかれているところが、椿さんらしいと思う。今回のインタビューでお会いするのが、二度目の椿さんだが、
やはり、もう何度もお会いしている気がした。人の求める新しいものとは、自分の心の中のどこかで、いつか出会ったことがあるもののことを言うのかもしれない。