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エッサイ

2013 / 10 / 30

妥協

妥協

あるクリエイターのインタビューで、先方の会社を訪れた。案内された会議室はけっこう広く、
テーブルの上に、新聞広告やパッケージ、販促物などがきれいに並べられていた。おそらく前の会議で使用したものか、
あるいは、まもなくそこで別のプレゼンテーションでも始まるのだろうと思った。

ただよく見ると、やがてそれらは、これからインタビューするA氏の作品ばかりであることに気づいた。
まさかと思ったが、「これは、今日のインタビューのために用意してくださったのですか」とA氏にたずねると、
「ええ、そうですが」という返事だった。彼の代表作であるヘアケア商品のボトルは、まるでショーケースにでも陳列されているかのように、
きれいに配置され、広げられた新聞広告にはシワひとつ無かった。

優れたクリエイターの資質をうかがうには、その作品を見るにしくはないのだが、その人の日ごろのたたずまいや、
あるいは直接の作業とは関係のない、今回のような、人と人との応対ぶりなどからも知ることができるものだ。
クリエイティブという仕事が、全人格的なものである以上、それはごく当たり前のことかもしれない。

話をうかがっていくうちに、目の前に並べられた作品のひとつひとつが、その日のインタビューのセッティングと同じように、
いっさいの妥協を許さない、厳しい作業の積み重ねから生まれたものであることがわかってきた。

どこかに妥協があるものは、人の心を打たないものだ。作り手や送り手側は、なんとかうまくごまかしたつもりでも、
素人にでもかんたんに見破られてしまう。コスト、スケジュール、クライアントの意向、
クリエイター側の都合、完成までにハードルは山ほどある。その過程で起こる、「これくらいは、許してもらえるだろう」という、
ほんのわずかな妥協がすべてを台無しにしてしまう。そして、作品全体、仕事そのものを、どこにでもある平凡なものにしてしまう。

A氏の仕事の特徴は、プロモーションだけでなく、パッケージなど、商品づくりそのものから携わるところに特徴がある。
「その方が、ぶれずに世界観を広げることができますから」とのことだった。