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旅歩き

2013 / 05 / 03

ヴォーリーズ建築・その2 ヴォーリーズ記念館

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ヴォーリーズ建築・その2 ヴォーリーズ記念館

ヴォーリーズ記念館 外観写真

ヴォーリーズ建築・その2 ヴォーリーズ記念館

ヴォーリーズ建築について、前回、紹介した旧八幡郵便局から歩いて数分のところにあるのが、
ヴォーリーズ記念館。1931年(昭和6年)に建てられた自邸で、彼が亡くなるまで、30年以上にわたり、
妻の満喜子と住んでいたところ。ただ、ここは今、別の方の住まいでもある。そのため、見学には必ず予約が必要。また、室内の見学もリビングルームだけに限られている。

天井近くまで大きくとられた窓

まず、門の前に立ってすぐ目につくのが、特徴のある、先が丸みをおびた煙突。こんな煙突初めて見るのに、
なんだかどこかで見たことがあるような、とてもなつかしい感じがする。どうしてだろう。でも、これがヴォーリーズ建築の特徴なのかもしれない。
はじめてその建物の前に立つのに、そして、はじめて入る部屋なのに、なんだかそこに長くいて、長く暮らしてきた感じがする。

小さな中庭の見えるエントランスを通って、建物の中に入ると、玄関をあがってすぐのリビングルームへ案内された。
うーん、ずっしりとした重みと、それとは反対のとても温かい感じの、両方の空気に包まれた部屋。広さは28畳くらいとか。
現代のリビングルームに比べると、さすがに広い。もともとこの建物は、近江兄弟社幼稚園の教員宿舎として設計されたものだそうで、
他に宿舎が見つかり、ヴォーリーズの自宅へと変更されたとのこと。

ヴォーリーズは、建物を作るにあたっては、住む人、使う人のことを最優先に考えた人だけれど、ここでもその思想はいかんなく発揮されている。
そのひとつが、健康面への配慮。このリビングルームも、南向きに窓を大きくとってあるのがその特徴で、
写真のように、天井に近い位置まで窓が広がっていることがわかる。また、新鮮な空気が部屋を吹き抜けるように、
逆側の北側にもちゃんと窓がとられているのだ。

ヴォーリーズ記念館 内装写真

そして、部屋の正面の壁には、「神の国」と書かれた自筆の額がかかっている。
今では、建築家として知れられているヴォーリーズだけれど、建築家としての活動も、もとはといえば、
そこで得たお金をキリスト教の布教活動にあてるためでもあった。そのため、この邸宅も、生前からヴォーリーズ自身の財産ではなく、
近江兄弟社の管理下にあった。彼が亡くなったとき、ヴォーリーズの持ち物として残されたのは、聖書と讃美歌、そして手帳だけだったとも言われている。

部屋には、カンザス州の故郷の家の壁板を使ってこしらえた、素朴な十字架が飾ってあった。この部屋にいると、
ヴォーリーズ建築のひとつに触れていると同時に、ヴォーリーズその人自身に触れているような気がしてきた。