漆器の色合わせのために、ある漆職人の作業場を訪ねた。漆(うるし)には、漆ならではの独特のテカリがある。当然にそれが魅力でもあるのだけれど、それがかえって、化学塗料のようなイメージにつながる感じもした。「つや消しも見せていただけますか」。そこに居合わせた人たち全員が、軽い気持ちで言った。
漆のつや消しのためには、漆の中に何か混ぜればそれでうまくいくのだろうと思っていた。だが、それはまったくのシロウト考えで、ふつうの漆の粒子を、さらに細かく擦りつぶすのである。擦りつぶす作業は、機械ででもできる。けれど、少量の擦りつぶし作業を請け負ってくれるところはない。となれば、必要な分量を、職人自身がすりこぎを使って擦りつぶすことになる。聞けば、その作業だけで、休まずにまる一日かかるのだと言う。
日がな、すりこぎを手にして、すり鉢に向かっている自分を想像してみるといい。「つや消しの感じがある方がいいですね」というひと言が、いかに無謀なひと言であるかわかるはずだ。私たちが使う予定の色は、四、五色あるから、それだけの日数がかかることになる。
モノづくりは、パソコンの画面上で、ボタンひとつで色を変えるような作業ではない。何気なく思いつきで言ったような言葉が、現場の人たちの、気の遠くなるような作業を強いることがある。
けれど、そうした気遣いによって、いわゆるディレクションの作業が甘くなるようでは、それもまた意味をなさない。大切なことは、現場の大変さ、困難さをよく熟知した上で、ものを言うことだ。わけのわからない人が言うのと、その大変さをよくわかっていて、なおその上で言う人の言葉は、同じ言葉や内容であっても、受け止める人には段違いだろう。よくわかった人が言うなら、その依頼の重さは、受け止める方にもじゅうぶん伝わるはずだからだ。
「現場をよく知ってからものを言え」とは、できることと、できないことを知ってものを言え、ということだけではない。できないことを、できるようにしてもらう、一段上の仕事にこそ、必要な言葉だと思う。