花折峠(はなおれとうげ)は、京都から行けば、大原から若狭へ抜ける道を北に進み、
滋賀との県境あたり位置する峠だ。京都の高野川、そして琵琶湖へ流れ下る安曇川(あどがわ)の分岐点でもある。
今回、紹介するのは、花折峠そのものの話ではない。その名を冠した一枚の絵の話だ。琵琶湖の遊覧船の出ている浜大津から、
タクシーで十分もかからないところに、「三橋節子(みつはしせつこ)美術館」という、市立の小さな美術館がある。
そこにあるのが、三橋の代表作「花折峠」だ。
日曜美術館という、NHKの教育テレビでやっている美術番組のファンなら、
大津生まれの夭折(ようせつ)の日本画家、三橋節子を紹介した番組(2007年)は、忘れがたいもののひとつになっているはずだ。
絵の題材は、花折峠の名の由来となった、近江に伝わる説話からとられている。昔、峠に暮らす美しく、
気立ての良い娘が、別の女のねたみを買い、ある大雨の日、村を流れる川に突き落とされてしまう。
だが、不思議なことに、突き落とされたはずの娘は、かすり傷ひとつ負うことなく村に戻ってくる。
突き落とした女が、いぶかしく思って川に戻ってみると、大水はすでに引き、一面に折れた花が咲きほこっていたという。花の絨毯が娘の命を救ったのだ。
三橋が、奇跡的に助かった娘の話を、絵の題材に選んだのは他でもない。
この絵を描いたとき、彼女自身が余命いくばくもない身の上にあったからだ。
前の年、右肩鎖骨に癌を患った三橋は、わずかでも命を長らえるため、画家の生命ともいえる右腕を切り落としていた。
「花折峠」は、右腕切断後の、左腕で描かれたものだ。おそらく、峠の娘の奇跡は、
幼い二人の子供を残してこの世を去らなければならない三橋にとって、最後のよすがともいうべき物語だったはすである。
この絵の完成から半年を待たず、わずか三十五歳で三橋は他界する。残された二人の子供と近江の説話を重ねた数枚の作品も胸を打つ。
美術館は、その二人の子供たちがよく遊んだという小高い公園の一角に立っている。