いつの間にか仕事がたまってしまう。その一方で、自分のやりたいことがある。もしも自分のしたいことだけすればいい毎日だったら、と時々思う。
こんなとき思い起こすのが、ある美術館の創設者との出会いだ。
群馬県桐生市に、大川美術館という、内外の名品を集めた美術館がある。その作品のコレクターであり、
また、美術館の創設者でもあったのが大川榮二(おおかわ えいじ 1924~2008)さんだ。三十歳になるかならないころだった。
大川さんに会いに、美術館を訪ねたことがある。東京から電車を乗り継いで桐生にたどり着いたのは、昼過ぎくらいだった。
館内を案内してもらい、お目当てのいくつかの絵にも対面した後、二人でお茶でも飲みながら美術談義でも、ということになった。
美術談義といっても、親子以上に年齢差があるわけで、ほぼ一方的に大川さんの美術論に耳を傾けることになった。
話は、美術の世界にとどまらず、やがて自身の来歴から人生観までに及び、まさにとどまることを知らなかった。
氏は、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった大手スーパーの副社長までつとめた企業人でもあった。
カフェの片隅で始まった対面は、やがて陽も落ちかかかる時間となり、いよいよいとまごいの挨拶をする段になったのだが、
近所にうまいカレー屋があるから、晩御飯でもいっしょにどうだとひきとめられた。カレーの味はともかく、そこでも氏の話はやむことがなかった。
さて、いよいよ上野に向かう列車も残りわずかとなり、それではここらあたりで、と挨拶をしかけると、
まだ話したいことは山ほどある、今日は桐生に泊まってはどうだ、ということである。いや、明日は会社がありますからとお断りすると、
よし、では俺も君といっしょに上野まで行こう、それなら列車の中で話ができるじゃないかと、とうとう私といっしょに、
上野行き列車に乗り込んでしまったのである。もちろん、車中、上野に着くまで、氏の独演会だった。
その車中でのことだ。おそらく私も仕事に追いまくられていた時代だったからだろうか、
「よくそんなにお忙しい身で、絵を見る余裕がありましたね」とたずねた。それを聞くなり、
ぎょろりとした大きな目で私をにらんだ大川さんは、「いや、逆だよ。仕事で全国を駆け回りながら、
ほんのわずかの時間を見つけて、美術館に足を運ぶ。そこで見る絵がいちばんよかった。忙しい中で見るから、絵が心にしみるんだよ」と、若い私を一喝したのだった。