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インタビュー

2013 / 05 / 03

永井 一史


(株)HAKUHODO DESIGN 社長

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マザーレイクインタビューNo.13扉写真

僕にとってのデザインとは、対象の中心点、ピュアなものをつかむことです。

サントリー「伊右衛門」、日産自動車「SHIFT_」、資生堂「一瞬も 一生も 美しく」、それぞれが、時代を画すような広告作品を手がけて来た永井一史(ながいかずふみ)さん。しかもそれらは、一時的に盛り上がりをみせる、いわゆるキャンペーン型広告ではなく、息長く続くブランド創造型の作品が多い。近年は、そうした企業関連広告だけではなく、環境問題などの社会的テーマにとり組む仕事も増えてきている。デザインを通して、企業と社会の新しい価値づくりを押し進めてきた人である。

―永井さんのお仕事を拝見していますと、大きなキャンペーンを打ち上げるというより、伊右衛門や資生堂の例のように、じっくりブランドを作り上げていくという感じが強いのですが。

永井―広告はどちらかというと、生産者サイドからのアプローチで、ブランドは、消費者側からのアプローチのような気がしています。そこが、僕にとっては、非常に新鮮で、魅力的に感じられるのです。ブランドは、広告のようにダイナミックなものでなくて、消費者の日々の暮らしから作られるもので、そうした消費者の思いが社会化されるときに、どうしても表現が必要になってくる。その橋渡しをするのが、僕たちクリエイターの仕事だと思っています。

マザーレイクインタビューNo.13写真

―永井さんのもうひとつの特徴は、いつどんなときでも、永井流の洗練された美しさが感じられる点だと思うのですが、そのあたりは、つねに意識されているのでしょうか。

永井―何か課題に取り組むとき、対象の本質をつかみたいという思いが常にありますね。別の言葉でいうと、中心点を見つけたい、という気持ちとでも言ってよいでしょうか。そのものに内在している一番いいところ、そこを表現する。だから、僕の表現は、料理でいえば、生のままの素材を生かすということです。余計なものを付け加えたり、こんなことをしたらみんなが喜ぶだろう、なんていうことはしませんね。僕にとってのデザインとは、対象の中心点、ピュアなものをつかむことです。そのあたりが、見る人には、美しさとして感じられるのではないでしょうか。

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―近年、エコに関するような、社会的テーマの仕事も増えているようですが、これには何か理由があるのでしょうか。

永井―2005年から2006年くらいにかけてだったと思いますが、「広告批評」という雑誌で、エコクリエイティブの特集があって、それに参加したのですが、そのときに思ったことは、環境保全テーマは、すでにコミュニケーションの時代からアクションの時代に入っているのでは、と感じたことです。そこで提出したのが「クリエイティブ・ボランティアやります」という作品でした。つまり、自分たち自身も、エコのためのボランティアをやります、と宣言した作品で、正直、とんでもない数の依頼がきたらどうしようと心配していました。・・・現実には、数件の依頼でおさまったのですが。

マザーレイクインタビューNo.13写真

―なぜ、そうした社会的なテーマに、デザイナーの力が必要なのでしょうか

永井―私の考えでは、デザイナーは、時代を感じる独特のセンサーを持っていると思うのです。例えば、デザイナーの作業の特徴は、まず、センサーで何かを感じる、そして、何かに気づき、心を動かされる。そのとき、わりと平気で放っておけなくて、他の人よりさらに深堀りしていく習慣があるのです。次に、それをまとめていく。そして、カタチにして、その結果として、消費者なり、社会を動かす。場合によっては、自分自身が行動に移す場合もあるというわけです。こうした一連の動きが敏感にできるのが、デザイナーと呼ばれる人たちの特徴だと思うのです。

そして、もうひとつは、デザイナーからの需要もあると思うのです。私たちはこれまで、産業の発展に貢献してきました。ところが、デフレの影響で、今、企業からの広告需要の先行きも不透明です。けれど、これまでの広告づくりで培われてきた、独特のセンサーで感じることや、それらを深堀りしてゆき、社会を動かしていくという習性がありますから、社会的な課題を発見すると、じっとしていられないのですね。

―永井さんのように、こうした社会テーマに取り組んだ大きな仕事ができるのは、今の若いクリエイターたちにとって、あこがれの存在のような気がするのですが、こうした仕事ができるようになるまでの、何か良いアドバイスはありますか。

永井―2000年くらいまでは、実は、ブランドコンサルティングなんて、デザイナーにとって、海のものとも山のものとも、つかない仕事だったのです。例えば当時、制作にいる人は、新聞の全面広告を作るような仕事に集中していました。クリエイターにとって、新聞広告でもポスターでも、具体的に何か作らないと、達成感のない時代だった。
そんな中、1999年、「博報堂ブランドコンサルティング」が組織化され、会社になるための準備中だったのですが、そこに私が、マーケッターとか、コンサルの人たちの中へ、唯一、デザイナーとして参加したのです。

―それは何か、お考えがあったのでしょうか。

永井―それまでのような具体的な広告づくりだけではなくて、考え方をデザインするのもおもしろいと思ったのです。結果としてそれが、たいへん良い経験になって、今の僕のバックボーンになっています。つまり、若いみなさんに言いたいことは、社会や会社の基準に合わせていくのではなくて、その時、自分が面白いと思ったこと、正しいと思ったことをやっていく、それが一番大切だと思うのです。

インタビュアーの+α

私が永井さんに注目したのは、もう十年くらい前のことだ。当時、博報堂デザインという、広告会社にしては珍しく(初?)、デザインを全面に押し出した企業内カンパニーを立ち上げたからだ。広告会社なら、デザインは主力製品のはずで、そんなの当たり前じゃないの、と言われそうだが、実は違う。主力広告のCMは、一般にはデザイン世界とは違う領域に見られているし、何しろ、広告のもうけ頭は別のところにあるからだ。それよりも何よりも、デザインこそが、これからの企業や社会の価値づくりの大きな役割を果たしていくのだという、強いメッセージをそこに感じたからだ。永井さんは、その作品どおり、語り口のおだやかな貴公子のような風貌の人だ。だが、彼の切り拓いて来た道は、それとは逆の、とても険しい道程だったのではと、かねてから想像していた。今回のインタビューを通じて、その一端を聞けた思いがしている。