今、ちょっと量子(りょうし)の世界にはまっている。量子の世界って何?ということになりそうだけれど、
大きさでいえば、10のマイナス35乗mくらいというから、まさに想像を絶する世界であることは間違いない。
こんなことを書くと、高校時代の僕の物理の成績を知っている人なら、そんなバカな、と思うかもしれない。でも、本当にそうなのだ。
先日も、京都市内で開かれた、ある理論物理学の先生の講演会を聴きに出かけ、その先生が書いた本に、
ちゃっかりサインをもらったほどのフリークぶりなのだ。
でもなぜ、デザイン経営が専門の私と、量子の世界が関係するのか不思議に思われるかもしれないが、
とりあえずとことん突き詰めて行って、気がついたら、いつの間にかこんなところまでやって来てしまったという感じなのだ。
ここにきれいな花があって、それを誰かが美しいと思ったとしよう。これを学問的にいうと、
美術や文学などのいわゆる人文科学の世界ということになる。ところが、これをさらに押し進めて、
もしたくさんの人がそれを美しいと言うのなら、何かその美的な価値を使ってビジネスができるのでは、と考えたとする。
これが、今私が教えている経営学や経済学の領域、つまり社会科学の世界だ。そして、そこからさらに話を進めて、
みんながそこに何らかの価値を見出すのなら、それなりの共通の意味や法則性もあるのでは、と考えたとしても不思議ではない。
このあたりまで来ると、自然科学の世界の入り口が見えてくる。
こうした人文科学→社会科学→自然科学という道筋は、もちろん花の美しさだけでなく、
森羅万象の事例にあてはめることができるはずだ。そして、その一筋として僕が選んだのが、デザインや情報の価値ルートということにすぎない。
こんなところまで歩いて来るのは、危険きわまりないことは、自分でもうすうす感じている。
でも、この国を本当に美しい国にするためには、みんなが耳をかたむけてくれやすい入り口から入ってあげた方がよいだろうと考えたせいもある。
例えば、ここに空き地がある、ならば、ビルを建てて、ひと儲けしようというのが今の日本の人たちだ。
そんな人たちに「公園にした方がきれいですよ」といくら言っても、話は遠い。そうではなく、「公園にしないと、アナタも消えてなくなりますよ」
と言ってあげた方が、結果的には親切かもしれないと思い始めたのだ(ちょっとオソロシすぎるか)。
そして、この話は次の本で書こうと思っている。でも、いくつかの出版社に声をかけてみたが、
今のところ、色よい返事はもらえないでいる。僕の方が消えてなくなりそうだ。