テレビを見ていたら、かつて人気だった、フォークのコーラスグループの男性メンバーの一人が亡くなったニュースをやっていた。
画面のバックには、当時、彼らが歌っていたヒット曲「卒業写真」のメロディーが流れていた。
今の若い人たちも、ユーミンが作った、この歌を知っているのだろうか。
おそらく反対意見もあるかもしれないが、僕の経験では、人はもうほとんど、青春のためだけに生きているような気さえする。
そう思うようになるのは、もちろん、青春の一時期を過ぎ去ってしまった後からだが、そこからさらに時がたてばたつほど、その思いは強くなるのだから不思議だ。
例えば、青春を謳歌するという言い方がある。これに対して、少年を謳歌するというのは、何だかこしゃまくれている。
中年を謳歌するというのも、変な響きがある。老年を謳歌するというのも、少しさびしい感じがするし、人生を謳歌するという言い方もあるが、
それはそれでけっこうな話だけれど、ふつうの人にはとても無理のような気がする。
バブルがはじけた頃のある経済雑誌に載っていた、エリートサラリーマに対する取材記事でこんな文章があった。
―「大学時代、友人とあんな事を話し合ったとか、どこに旅行したとか、よく思い出しますね。それに比べて、会社で大きな事件があったとき、
何をしていたのか、よく思い出せない。食べ物でも、十倍も百倍も高価なものを食べておきながら、感動として残らない。昔の僕らなら、喜んだですよ、
『こんなに肉って柔らかく、うまいのか』とか、『こんなうまい刺身があるのか』って・・」。
「卒業写真」の曲の途中と、最後に出てくる歌詞、「人ごみに流されて 変わってゆく私を あなたはときどき 遠くでしかって」は、胸に響く。
青春は、恋とか夢の咲き誇る一時期でもあるけれど、それを、他の時期になく輝かせている本当の理由は、人が無条件に生きて、さらにそれが許される時期だからだ、と思う。
青春を謳歌するとは、「人ごみ」に流されず、自分に忠実に生きるということの言い換えなのかもしれない。