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エッサイ

2014 / 04 / 18

なぜ勉強するの?

なぜ勉強するの?

ときどき学生たちから、なぜ勉強する必要があるのですか、と聞かれることがある。
仕事がら、そんな問いにはすぐさま気の利いた答えが用意されていなければいけないのだが、そんなにうまい答えは出てこない。

そこで、話をもう一段低いレベルの疑問に置きかえてみよう。例えば、どうして僕たちは、一日何度も食事をするのか、という具合に。
この質問ならば、わりと簡単に答えが見つかりそうだ。思いつく答えとしては、お腹が減るから、食べないでいると、
何もできなくなってやがて死んでしまうから、おいしいものがあるから、などなど。

勉強も食事も、そのまま右から左へと答えを置き換えるわけにいかないかもしれないが、
ためしにやってみると、頭が減るから、勉強しないでいると、何もできなくなってやがて死んでしまうから、
勉強すべき面白いものがあるから、となる。

答えのひとつ、食事と同じように、勉強しないと死んでしまうかどうかは、わからない。
ただ、周囲の不勉強な学生を見ていて、瀕死状態の学生はあまりいないようだから、これは適解ではないかもしれない。
三番目の、勉強が面白くてしょうがないというのは、いわゆる学者さんに多いタイプだ。
私の同僚にも、こういう方は少なくないけれど、おしなべての人にあてはめるには、どうも無理がありそうだ。

ということで、いちばん変てこりんな答え、最初にあげた「頭が減るから」。
頭が減ったことなんてないぞ、という人があるかもしれないが、これが僕には一番ぴったりくる答えだ。
何だか、そろそろ頭が減ってきたぞ、ということがよくあるのだ。ただ、頭が減ってくるとは、頭の中が空っぽになることではない。
その逆で、ちょうど、お腹が減ってくると、胃や腸がなんだか手持ちぶさたになるように、何かをむしょうに考えたくなってしまうのだ。

よくあることだけれど、学生たちから、「先生、私たちとしゃべっていても、ときどき他のこと考えているでしょ」と言われることがある。
当たり! この瞬間、ふつうの人が、お腹が減ってそれ以外のことが考えられなくなるように、僕の頭はすっかり腹ペコ状態なのだ。
ならば、その人のことを考えてあげればよいのだが、たいていは、そうならない。失礼ながら、一番おいしいもので頭を満たすことになる。
その点は食事の法則とまったく同じなのである。