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エッサイ

2013 / 05 / 03

ホーリーの鳥かご

ホーリーの鳥かご

僕たちは、たいていが常識にとらわれたまま一生を終わる。非常識に生きろ、とは言わないが、常識の壁を破るのはむつかしい。そして、常識とは、いわゆる人の目、世間の目というものとほぼイコールだとも言ってよい。けれど、この世間一般の常識の束縛から自由になった人だけが、自分のほんとうの人生を手に入れる。

こう思うようになったのは、このサイトのゲストコーナーのインタビューで、いろいろな人たちに会うようになってからだ。築80年の農学校跡の建物を改修して、本人は木工家具の制作、奥さんはお菓子づくりに励んでいる夫妻がいる。大手の広告会社をやめて、地球環境を守るプロジェクトに打ち込んでいる人がいる。夫と離婚したあと、自分の子供たちと、琵琶湖の見える山麓に、広大なブルーベリー畑を開いた女性がいる。

幸せな人生を送ることは、だれしもの願いだ。しかし、それをはばんでいるものは、実は、仕事や家族、日常の雑事など、自分の外側にあるものではない。むしろ、こうでなければならないという、どこにも根拠のない自分自身の内側にある思い込みの方が大きい。

「ティファニーで朝食を」という映画の中で、オードリー・ヘップバーンの演じる女主人公、ホーリーは、常に何ものからも自由でいたい、しかもその上で、自分の夢を実現したいと考えている女性だ。しかし、肝心の彼女の夢は、いつの日か、ニューヨーク五番街の高級宝飾店ティファニーで朝食をとれるようになるという、いわば世俗的な願望の極みにあるものだった。

映画のラスト近く、ホーリーはもてあそんだ一人の男性から、「君は、自分自身を入れる、自由という鳥かごをいつも持ち歩いている。いいかげんにそれを捨てたらどうだ」という言葉を投げつけられ、われに返る。私の幸福はこうでなければならないという、頑迷な鳥かごを捨てる勇気こそが、自分らしい人生を送るためのカギなのだと思う。