教え子の一人から、暑中見舞いが届いた。彼は脱サラをし、今は、札幌で靴屋をしている。「一人仕事というのも、なかなか大変です」と書かれていた。
ちょうど一年前、彼から茶封筒が届いた。開けてみると、中から挨拶状と、一本の手ぬぐいが出てきた。手ぬぐいには、金槌とヤットコ、それと名前はわからないが、何か革を切る刃物のようなものが、白く染め抜かれていた。
手ぬぐいと挨拶状は、小さいながらも、いよいよ店を開くという知らせだった。彼が靴屋になることは、前から、同期生たちのうわさ話で聞いていた。それに店を始める少し前には、私の研究室に、挨拶にもやって来ていた。すぐに靴を作る、作らないにかかわらず、先生の足の寸法を測っておきたいからと、私の両足の隅から隅まで細かく測っていった。右と左では、まったく寸法が違うことと、朝と夕方では、巻尺で測った足の径が1センチくらい違うことなどを教わって、驚いた。
店の名前は「HOME BASE」である。おそらく店のマークなのだろう、ホームベースがちょうど三角にとがった方を上にして、ローマ字名といっしょに、手ぬぐいに染め抜かれていた。
ホームベース、―良いネーミングだと思った。そういえば、本人の顔も少しホームベースっぽいし、そこからとったのかもしれない。それは愛嬌だが、何か小さなお店でも始めるときに付ける名前としては、ふさわしいネーミングだと思った。
野球のホームベースは、言わずもがな、まず、これからボールを打ち返そうというバッターの最初の立ち位置だ。そこであえなく三振に討ち取られる場合もあるだろうし、首尾よくヒットでも放てば、塁を駆け抜けるスタートポジションでもある。そして、後続のヒットが続けば、打者は再びホームベースを踏むことができる。もちろん、ホームランなら、スタートとホームイン、これをたった一人で演じることができる。いずれにせよ、ホームベースという言葉が、ちょっと僕たちの心をくすぐるのは、心ときめく出発地と、喜びと安らぎの帰還地、その両方をかね備えた存在だからだろう。
彼はまだ、三十歳を少し超えたくらいだが、小さなホームベースを持ったのだ。派手なホームランは期待しない。三振でもいい。思い切りバットを振って欲しい。