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エッサイ

2013 / 05 / 03

得たものと、失ったもの

得たものと、失ったものPHOTO:森山勝心

ときどき私の師匠のK先生のことを思い出す。三十歳になろうかという頃、私は、当時の大蔵省がこしらえたある外郭団体に出向することになった。
その出向先で、上司だったのがK先生だ。先生は、八十歳を超えた今も、けっこう過激な意見を吐く論客として知られている。
私は、師ほど過激な意見をとなえる人ではないけれど、「何か書く時は、返り血を覚悟で書け」という教えは、いつも忘れないでいる。

先生は、その少年時代を、太平洋戦争の真っ只中で過ごされた。おそらく当時、自分の頭の上を舞う戦闘機に夢中だったのか、
その話をされるときは、俄然、舌がなめらかになった。

先生によれば、宙に浮いている飛行機は、どうしたって、ゼロサムをまぬがれないのだと言う。
ゼロサムとは、何か足しても、その分、引き算も必要な理屈である。例えば、ゼロ戦。空中戦に有利なように、
ゼロ戦の機体は、徹底的な軽量化がはかられた。また、機体が軽ければ、同じ馬力のエンジンと燃料でも、より速く、
より遠くまで飛ぶことができる。ただ、機体を軽くするために、犠牲にされたのが、防御面だった。
例えば、ふつうは装備されるはずの、パイロットの背中側の鉄板がゼロ戦にはなかった。
ゼロサムの理屈でいえば、攻撃面のプラスをかせぐために、守りのマイナス面を犠牲にしたのがゼロ戦のつくりだったのだ。

私は、この話を先生から聞いて以来、世の中のあれこれは、すべてゼロサムだと思い込むようになった。
何かを一方的に得ることは絶対にない。何かを得れば、一方で、必ず何かを失っている。得るものばかりだったと喜んでいるのは、
失ったものに気づいていないだけのことなのだ。試験に受かれば、試験に落ちることはできない。
その試験に落ちていれば、浪人くらいはしたかもしれないが、まったく別の人生が開けていたことだろう。
だから、うまくいったとばかり有頂天になるのも軽率だし、失敗して落ち込むのも、暗い面だけを見過ぎなのだ。

K先生からもらった、この足し引きゼロという考え方は、その後、生きていく上で、私の基準となる考え方になっている。