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エッサイ

2013 / 05 / 03

ビエンナーレ

ビエンナーレ第5回BIWAKOビエンナーレ 北山善夫

近江八幡と五箇荘地区で開かれていた、第5回BIWAKOビエンナーレのカタログが送られて来た。そんなおり、昔のノートを繰っていると、こんな書きつけに目がとまった。
「サンマルコ広場の人だかりに比べて、いかにも少ない。数えるほどしか人はいない。中には、はるばるやって来た私のような日本人も見かけるが、
イタリア人の中でも、このビエンナーレは、よく知られていないか、また、知っていても、しいて足を運ぶ人は少ないのだろう。
つまり、イタリア人の多くが、前衛的な作品に興味があるとか、能力にたけているということではない。
ただ、そういう能力にたけた人物の行動を寛容に見る雰囲気、環境づくりに優れているのではないか」。

これは、私が三十歳のころ初めてヨーロッパを訪れ、イタリアのヴェネチアビエンナーレに足を運んだとき、
書き残したメモ書きだ。ヴェネチアビエンナーレといえば、現代アートの最高峰だから、さぞや黒山の人だかりだろうと、
勇んで会場を訪れたものの、意外に観客は少なかった。それに少し落胆する一方で、十九世紀末のスタート時から数えれば、
すでに百年あまりの歴史を誇るビエンナーレ展を生み出した、イタリアという国の芸術に対する情熱を書き記したものだ。

芸術は多様で、人々の好みもそれぞれに違う。だから、すべての人々に対して、芸術を愛せよ、というのは違うと思っている。
ただ、役にも立たず、当座は何のメシの種にもならないものをどう扱うかというのが、人の度量、社会の余裕というものだろう。

さきの太平洋戦争時、洋画家の中川一政(1893?1991年)は、当時の日本の状況をさしてこういっている
?「日本は船の方舷(げん)に人が蝟集(いしゅう)して、船をひっくりかえしたのである。
もう方舷に役に立たない人間がうんとがんばって、船の平均をとっていたら、ひっくりかえらなかった」(「我思古人」新潮社)。

私たちが試されているのは、人でいえば、どのくらい、動物的な本能から離れることができるのか、
また、日々の生活でいえば、どれくらい日常の生活から離れることができるか、ということではないだろうか。
そして、純粋芸術への関心と態度は、それを測るリトマス試験紙のようなものだと思う。