最近、コピーを全面に押し出した広告がほとんど見られなくなった。どうしてだろう。コピーライターの力が衰えた?
そんなわけはない。僕が教える学生の中にだって、ときどき、こちらがハッとするようなコピーを書いてくる子がいる。
それに、どんなにビジュアル全盛の時代になったとしても、人間が、これまで何千年と引き継いできた言葉への関心が、急に衰えるなんてありえないはずだ。
ちょっと大胆すぎるかもしれないが、その理由をこう考えてみた―「コピーはモノである」。
いや、コピーは情報でしょう、言葉ですからね、というご意見が多そうなことは、じゅうぶん承知だ。でも、もう一度、大胆に―「コピーはモノである」。
こう考えた理由は、それでしか、どうしても説明がつかないからだ。例えば、同じ大きさの広告でも、
パソコン画面で見る広告コピーと、雑誌のそれとでは、ぜんぜん立ち方が違う。まして、ポスターや新聞の全面広告などと比べると、
パソコン画面上のコピーは、同じ内容なのに、どうしてこうなってしまうの、と首をかしげたくなるくらい弱々しくなってしまう。
逆に、デザイナーの人なら、日々、経験していることかと思うが、パソコンで作った広告画像を、
原寸大にプリントアウトしてみると、まったく違うコピーかと思うくらい文字が浮き立ってくる。
では、テレビの時代は、どうだったの?良いコピーの広告、いくらでもあったじゃない―お忘れかもしれないが、
テレビのコピーは、ちゃんとナレーションの音声でフォローされていたのです。例えば、名コピー「その先の日本へ」も、
椎名誠さんの落ち着いた声が、耳に届けばこそだったのだ。
やはり、結論。私たちは文字を読むと同時に、紙も読んでいるのだ。
つるっとした液晶画面に目線を泳がすのと違って、文字といっしょに紙もムシャムシャ読み込んでいるのだ。
ここまで書いて、これは広告コピー論だけではなくて、
紙の書籍と電子ブックとの違いについても語っていることに気づいた。私の理屈でいえば、巨匠の手になる名文でも、
電子書籍になってしまえば、B級グルメの味わいに堕してしてしまうことになる。本当かな?
すでに、電子書籍を駆使している方に、ぜひそのあたりを聞いてみたいものだ。