先日、ある人から意見を聞きたいと誘われ、話しているうちに、同席していた女性から
思いがけなく、私にとって大変ありがたい話を頂戴する機会があった。
私は、学校時代、数学が苦手だったせいか、今でもバリバリの文系を自認している。
聞いた話は生物学と材料科学の中間のような領域のことで、相手の女性はどこまで意識されていたかだが、
ちょうどぽっかりと隙間の空いた私のジグソーパズルに、ものの見事に、その話ははまったのだった。
私はデザインの世界だから、どうしても感性中心で考えを進める。いわば直感の世界だ。
それに対して、自然科学の世界は理詰めである。階段を一段一段のぼって行くようにして、結論にたどり着く。
もっといえば、こちらはいい加減の極致で、先方はまったく地道という他ない。
その二者が同じことを考えていたというのが、とてもおもしろかった。と言いつつ、内容を明かさないで、
自分ひとりで悦に入っているようで、たいへん手前勝手な文章になっている点は申し訳ないのだけれど、
なぜ、左右ま反対の道を歩いている者同士が、出会ったのかについて考えてみた。
結論は、私たちは、文系人間であろうが、理系人間であろうが、例えば、
とても大きな川の流れの中で船を漕いでいるようなものだということだった。
その川の流れに抗うこともできるし、岸辺を行ったり、川の真ん中を進むこともできる。
けれど、結局のところは、悠々と流れる大きな川の流れに乗って進むしかない。気がつけば、まさに呉越同舟なのだ。
では、大きな川の流れとは何かが問題だが、それは「自然の摂理」という言葉に尽きると思う。
なんだか悟りの境地みたいな話だが、考えてもみれば、私たち人類をはじめとして生きとし生けるもの、
みんなこの青い地球の上に乗っているのだから、文系も理系もないのである。
心を入れかえて、部屋のすみで埃をかぶっていた量子力学入門の本を開いてみたら、
私の言いたかったことのひとつが、ちゃんと数式にあらわされていた。この年になるまで、
数学や物理の世界を毛嫌いしてきたが、彼らも私も、同じ川に浸っているのだと考えると、向こうの世界が、とても身近に感じられるようになった。