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エッサイ

2013 / 05 / 03

たわみ

たわみ

出張からの帰り、地元の駅を降りると、見たような後姿があって、肩をポンとたたいてみた。
ちょうど一年前に卒業したゼミの女子学生だった。かっこうも含めて、ちょっとOLらしくなっていたが、
びっくりして振り返った顔は、学生時代と少しも変わらなかった。

時間は、夜の8時30分を少しまわったくらいだった。私は出張の帰りだから、
そんな時間になってしまったのだが、一年もたたない新入社員にとっては、
ふだんの帰宅時間に比べれば、むしろ早いくらいなのかもしれない。

こういう姿を見ると、どうしても、自分が会社づとめをしていた若いころを思い出してしまう。
けっこうキツかった。このままこの会社に居続けると、殺されるかもしれない、と本気で思ったこともあった。

だから、それは決して良い思い出とは言えないのだが、逆に、そういう時代がまったくなかったとしら、
どうなっていたのだろう、と思うことも少なくない。

人生には、例えば「たわみ」のような時を過ごさなければいけない時期があって、
そこをうまくやり過ごそうとすると、逆に、力抜けしたような人生を過ごすことにもなりかねない、と思っている。
相撲でいえば、先輩力士に一方的に押しまくられるような時期を過ごしてはじめて、足腰が強くなるものなのだ。

弾力のあるものを、力づくで押し縮めると、たわむ。それは、一見、へこんでいるように見えるのだけれど、
実は、その内側にエネルギーをしっかりと蓄えている。そして、この反発力のようなものの方が、
おしこめられた負のエネルギーが加えられた分、本来そのものが持っている力以上の力を発揮するような気がするのだ。

家は互いに反対方向だから、立ち話で終わったような時間だったけれど、いろいろ大変なんだろうということは、
本人がちらりと見せた、困ったような顔つきでよくわかった。午後から降り始めた雨が、ますます強くなっていた。
「また、連絡します」と言い残して、黒いレインコートの後姿が、暗がりの雨の中に消えていった。