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エッサイ

2013 / 07 / 09

FOUND

FOUND

東京、青山のこどもの城のあたりを歩いていたら、青山通り沿いに、小さなMUJIのお店があった。
二階建てで、間口は狭く、奥行きもほんのわずかだった。一階だけなら、ちょうどコンビニの半分くらいの広さだ。
でも、ここは確かMUJIの独立店の第一号店だったところで、東京にいたころ、このお店ではじめてMUJI の世界に触れ、並んだ商品の斬新さに驚いた記憶がある。

もちろん、そのころの店の名前は「無印良品」だったけれど、今は「Found MUJI」と、エントランスに書かれていた。
昔のことを思い出してなつかしかったのと、Foundの名前にひかれて中をのぞいてみた。
お店の中には、インドの刺し子のトートバックだとか、ちょっとエスニックな家具や、
台湾製の素朴なグラスだとかが並んでいた。お客さんは、僕と別の一人くらいだったけれど、店員さんもいれると、それだけでいっぱいの感じもした。

二階に上がる前に、ふと壁を見やると、MUJIデザインを作り上げたグラフィクデザイナーの
田中一光(1930?2002)さんのコピーが、壁に直接、書きつけてあった。
「簡素が豪華に引け目を感ずることなく、その簡素の中に秘めた知性なり感性なりがむしろ誇りに思える世界、
そういった価値体系を拡めることができれば、少ない資源で生活を豊かにすることができる」。

僕たちは、出来合いに作られたものを買ってきて、その価格どおりの価値のものとして使う。
そんなことをごく当たり前のように思っているけれど、田中さんが言うように、価値体系は人それぞれ、
いろいろあるはずだ。一見、粗末なように見えるものでも、そこに作り手の丹精こめた気持ちがこめられているなら、
付けられた値札以上の価値を感じていい。また、どんなに高い商品でも、自分にとって価値のないものなら、そういうものとして見ればいい。

Foundとは、ステキな言葉だ。それは「見出された」という意味らしいが、
それまでよそよそしかった商品が、ほんとうに自分のものになったような気もする。
僕たちの身の周りにある、あらゆるものの価値は、僕たち自身の目と気持ちで、もう一度、Foundされるべきなのかもしれない。